- 女坂(東山七条交差点から)
- 東山七条交差点北
- 東山七条交差点南
- 豊国廟一の鳥居
- 参道入り口
- 鳥居と楼門
- 御神猿
- 本殿
- 飛梅天満宮
- 愛宕・秋葉神社、樹下社(このもとやしろ)
- 山口稲荷神社
- 新日吉神社について
- アクセス・地図
女坂(東山七条交差点から)
七条通りを上がり、智積院でつく当たる。
そのあたりが「東山七条」
東大路通りの東山七条から東に「女坂」と言う緩いい坂の片側一車線の道が伸びている。先は京都女子学園を通り豊国廟に続く道。
東山七条交差点北
東山七条の交差点を東大路通りの西(市街地より)から見ると、東に続く道の北側には「豊国廟」の大きな石碑と「源氏物語ゆかりの地」と書かれた看板がある。
このあたりは、かつての葬送の地「鳥辺野」のあたり、「源氏物語」では急死した夕顔や葵上が荼毘にふされたようだ。
東山七条交差点南
そして、道路の南には「新日吉神社」の案内があった。
永暦元年(一ー六〇)、後白河法皇が、その御所法住寺内に比叡山東坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したのが当社の始まりである。
祭神として、後白河法皇のほか、霊居守護神山王七柱を祀り、酒造、医薬、縁結びの神として仰を集めている。
当初は智積院南側に創建されたが、元和元年(一六ー五)、豊国廟社の破設とともに旧廟前に移り、更に明治三十年(一八九七)にこの地に移った。
社殿は応仁の兵火で焼け、その後しばしば増改楽が行われたが、現在の本殿は、天保六年(一八三五)の改造で、大きな流造である。
古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸は百八度に及んだといわれ、・・<略>・・
寛政十年(一七九八)に妙法院から境内の糊下社に寄進された、長谷川等伯筆と伝わる豊臣秀吉の肖像が保存されている。(案内看板より抜粋)
この場所になる前、もう少し北東の位置にあったようだ。豊国廟の参道にあたるということで、南西に移動して、この地になったようだ。
ひょうっとして、もともとは、豊国廟一の鳥居のあるのもう少し山よりにあったのかもしれない。
豊国廟一の鳥居
ゆるい坂を上がると、豊国廟の一の鳥居が目の前に見えてくる。
鳥居から豊国廟のある阿弥陀ケ峯が見えた。
その横に「新日吉神宮」がある。
参道入り口
鳥居と楼門
↓楼門から境内。
境内は広くゆったりしていた。
その真ん中あたりに拝殿があった。
その拝殿の先に階段があり、それを上がると本堂がある。
御神猿
本殿への階段を上がりきったところ左右に金網で覆われた猿の像があった。
御所でも赤山禅院でみ猿は金網の中だった。
神猿はイタズラをするから金網に入れられているとか。
太古京都、滋賀地方を開発された日吉大神は、千年の皇都の鬼門を御守護になった霊神であるので、
昔から朝野の仰は真に顕著でありました。
当神宮本殿の前に安置する御猿は大神の御使者で、信者の災禍を去るという不思議な働きをされます。
、常に御幣を捧げて悪気を祓い、凡ての災厄を退けて、幸福を授けられます。ご倍仰の方々は祈願をこめた御神猿を受けられ、其の一年間御家内中、厄除け、開運、方除け共に御霊験が得られますように、神棚に、衛床に又は鬼門にお祀りください。
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本殿
飛梅天満宮
本殿に向かって左には。飛梅天満宮があった。
洛陽天満宮二十五社巡拝のひとつかと思っていたが、違った。リストにはなかった。
飛梅天満宮
一、御祭神
菅原道真公
菅公遺愛の飛梅之霊一、御由猪
永暦元年後白河天皇により菅公之御霊天満宮大自在天神と菅公遺愛之飛梅之霊を祀られる。
飛梅之霊は菅公が大宰府下向の際東風吹かば匂いをこせよ梅の花
主なしとも春を忘るなを詠まれて別れを惜しまれた旧宅の梅が一夜の中に配所に花を咲かせたという故事による。
愛宕・秋葉神社、樹下社(このもとやしろ)
そして本殿に向かって右には鳥居が二つ並んでいた。
右の鳥居は愛宕神社・秋葉神社
左の鳥居は樹下社(このもとやしろ)「豊国神社」
豊国神社とある。もともとは秀吉の旧姓「木下藤吉郎」を樹下神(賀茂玉依姫)の神明に隠して、徳川幕府の監視を逃れた伝わっている。
鳥居をくぐると、二座というか二つの社が仲良く並んでいた。
山口稲荷神社
楼門の横には
新日吉神社について
数年に豊国廟へいくときに、立ち寄ったことがある。あの時は、ささっとお参りしただけだったが、ゆっくりお参りすると、見どころはいろいろあった。
日曜日の朝少し早い時間なのでお参りする人もなく。
ゆっくり見て回れた。
なぜ「神宮」となっているの?
「神宮」とつく神社は、伊勢神宮や平安神宮など有名で社格が高そうな神社が多い。
「神宮」つくのは社格が高い神社なのだろうか?しかし、ここは単立神社だ。
神宮と名乗ることを許されたのは、昭和33年、それまで「新日吉社」だったようだ。
法住寺陵より、後白河法天皇の御神霊を迎え本殿に合祀したことで、天皇春記神社として神宮号が公許された。
もともと後白河天皇が比叡山の日吉大社から勧請したものなので、後白河天皇が加わるのはの不思議ではない。
アクセス・地図
市バス「東山七条」下車、徒歩約5分
京阪電車「七条」駅より徒歩約15分
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