- 天道天満宮(天道神社内)
- 火尊天満宮
- 西洞院通り
- 第一番・菅大臣神社
- 第三番・筑紫天満宮(五条天神宮内)
- 文子天満宮
- 第二十二番 西念天満宮(千喜万悦天満宮)
- 第二十番・紅梅天満宮
- 鴨川を渡り木屋町通りを歩いて
- 小松天満宮(天拝天満宮)京都ゑびす神社内
- 火除天満宮へ
- 2023年11月5日の散歩経路
壬生寺を出て、次に目指すには天道天満宮。
天道天満宮(天道神社内)
仏光寺通りと猪熊通りの交差点の北西にある。こじんまりした神社だが、仏光寺通りを歩いていると「天道」と書かれた紙が貼ってある家をよく見かけた。この神社は、この周辺の産土神だろう。
この神社は、こじんまりしているが、由緒ある神社のようだ。
5月17日に執行される「天道花神事」は国宝上杉本「洛中洛外図屏風」にも描かれている伝承的行事であり今や天道神社でしか見られないようだ。
近くの人から「天道神社さん」としましまれているようだ。
この神社の主御祭神は、天照大神。八幡大神、春日大神。
天道天満宮は、本殿の向かって左奥にあった。
ちゃんと「洛陽天満宮二十五社天道天満宮」と書かれた石碑が立っていた。
しかし、ウィキペディアの「洛陽天満宮二十五社」のリストにはなかったので、何番なのかわからない。
火尊天満宮
ふと見過ごしそうになる。住宅が立ち並ぶ油小路通りを歩いていると、綾小路通ると交差点の手前にこじんまりとあった。入ることができない。時間によっては入ることができるようだ。洛陽天満宮二十五社順拝に入っていないようだ。
西洞院通り
綾小路通りを歩いて、西洞院通りに出た。
西洞院通りはかつて川だったのだろう。西からも東からも西洞院通りまでは下り坂。
いつ歩いても、西洞院通りの見える下坂は、面白く感じる。
西洞院通にりに出ると、南東角に行列ができている喫茶店があった。
第一番・菅大臣神社
菅大臣神社は入り口が何か所ある。
下の写真は、北側の仏光寺通り側の鳥居。
境内は駐車場のようになっている上に、民家があった。
菅家邸の石碑があった。この辺りに菅家があったようだ。
その先は民家が並んでいた。
本殿
西洞院通り側鳥居。こちらがメインの参拝口なのだろうか?
第三番・筑紫天満宮(五条天神宮内)
以前の記事で、天神さんと天満宮とは違うと言う記事を載せたことがあるあ。ここの天神は天満宮の菅原道真公ではない。この神社が筑紫天満宮ではない。筑紫天満宮は本殿の横を通り奥に天満宮の社があった。
季節によるのだろうか、この神社来るたびに思うが、境内に陽が差しているのを見たことがない。南のビルの影で陽が遮られ、境内はなんとなく薄暗く感じる。
本殿の横を通ると
筑紫天満宮があった。
本殿から西洞院通りの門。
北側の松原通りにも門があった。
この神社は、天使社と呼ばれていた。豊臣秀吉の京都の町の改造の時に、この神社の境内を月根けるように通りを造った。これが天使の突抜け。秀吉は、ここ以外にも多くの突抜けを造った。釜座通りも突抜け
文子天満宮
五条天神宮を出て五条通りを東山の方へ歩いた。
烏丸通りを南下して文子天満宮いへ行った。
その入り口への通路の入り口にあった。
第二十二番 西念天満宮(千喜万悦天満宮)
五条通りと高倉通りの交差点の南東角にあった。西念寺とあるので、ある程度広い境内があるのかと思ったが、どうも民家のようなお寺だった。そのお寺の前に、千喜万悦天満宮があった。
五条通り沿いに下のような旗がなければ見過ごしてしまいそうだ。
第二十番・紅梅天満宮
お寺の境内にあるようだが、入ることができなかった。
鴨川を渡り木屋町通りを歩いて
宮川歌舞練場があったあたりが工事の塀で覆われていた。
旧新道小学校跡地活用新築工事中とあった。
以前こにあたりを歩いた時、歌舞練場の裏に木造に建物がり、通りを隔てて学校のような建物があった。
小松天満宮(天拝天満宮)京都ゑびす神社内
小松天満宮はゑびす神社内にあった。
火除天満宮へ
小松天満宮を出て、もう京都河原町駅から阪急電車で帰ろうかろ思った。
もう充分歩いた感があった。
とりあえず、京都河原町駅に向かって歩き出した。
その時、もう一箇所、京都河原町駅近くに天満宮があったのを思い出した。
どうしようかなと歩きながら、足は自然と人混みの中、京都河原町駅近くにある天満宮、「火除天満宮」へ向かっていた。
火除天満宮の入り口は、寺町通りのコンビニの横にあった。
2023年11月5日の散歩経路
この日は、iPhoneの計測で、18,000歩歩いた。
大阪で歩いたのも含まれる。距離にして11.9kmほどだった。
朝から15時ぐらまで歩いてこれぐらいだとまぁいいかっと思う。