天使突抜(てんしつきぬけ) 五條天神社(天使の宮) 神社の敷地をも分断した豊臣秀吉の京都改造の名残り。 202170416

桜が葉桜に変わりかけ

ピンクの桜の花と緑の葉が入り混じり、

いい色合いに。
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平成29年4月16日撮影

 

「五條天神社」

義経と弁慶との出会いがこのここの近くだったようだ。

「丑刻詣をした弁慶が笛を吹きつつ歩く牛若丸を見つけ・・・」ということが、

この神社の入口の案内板に書かれている。

別名が「天使の宮」

当初は「天使の宮」「天使社」と称し、後鳥羽上皇時代に「五條天神宮」へ改称された[4]。社号の五條は、当社北側にある松原通がかつて五条通と呼ばれていたことに由来する[2]。なお、社号の天神と菅原道真とは直接の関連はないが、境内社として筑紫天満宮があり、道真が祀られている。(ウィキペディア「五條天神社 (京都市)」より)

 かつての平安京の街路は今とはずいぶん違っていたようだ。

度重なる戦争で、大きく変わってしまった。

そのうえに、秀吉の京都の都市改造により、街路が新しくつくられたり、狭くされたりなど、京都の町は大きく変わった。

いまの京都の街路は秀吉のころの名残が残っていると思う。

多く社寺も大きく影響を受けた。

「五条天神社」もその一つ。

当社の境内は、中世には東西4町・南北5町の広さがあり、周囲は森で囲まれていたとされる。(ウィキペディア「五條天神社 (京都市)」より)

   ※一町は約109m。

秀吉は、神社を避けるどころか、強引に境内の真ん中に道を通した。

「天使さまを突き抜いてまでつくった通り」という意味で、

「天使突抜通」と呼ばれるようになった。

「天使突抜」今でもこの地名は残っている。

6条あたりまで、4丁目まであるようだ。

「突抜」という地名は、他にもある。

「越後突抜」(中京区)、「仁王門突抜」(中京区)、「突抜町(釈迦突抜け)」(左京区)

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※松原通はかつての五条通

 

かつては大きかっただろう「五条天神社」も今は、ビルの谷間にひっそりと佇んでいる様子。

境内は、駐車場になっていた。

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