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加古川駅
加古川駅は新快速が止まり、加古川線の始発駅でもある。加古川線は、加古川から西脇を経て福知山線の谷川までの路線だ。昼間は一時間に2本程度。遠くへ行く西脇行きと近い厄神駅行きの1本づつ。都会に住んでいる者からするととても便が悪い気がする。
本数が少ないので、二両または一両編成の電車はそこそこ乗客が乗っている。学生や年配の人など。
日岡駅
古い小さな駅。降りる人は少ない。加古川線は単線だが、この駅では複線になってホームは上り下りとある。駅員はいない無人駅。
日岡山公園
この駅の近くには、日岡山公園がある。
↓かすれた 日岡山公園の観光看板。
かつては、観光地として賑わったのか。
宮内庁管理の日岡陵があり、敷地内には複数の古墳がある。また桜の名所でもあり、毎春見物客でにぎわっている。野球場・武道館・体育館などのスポーツ施設も併設され、バンディオンセ加古川が練習に利用するだけでなく、陸上競技場を改装して作られたサッカーグラウンドでは関西サッカーリーグの試合も行われる。敷地内にあるOAAはりまハイツは、レクリエーション活動の宿泊施設として利用されている。近くには安産祈願で有名な日岡神社がある 。(ウィキペディア「日岡山公園」より)
日岡駅から歩いて数分で日岡神社に行ける。日岡神社は後から行くことにして、景行天皇の皇后の稲日大郎媛(いなびのおおいらつめ)の御陵を目指した。山ほどでない、丘ような感じだが、Googleマップの経路なのでちゃんと行けるけるかどうか?何度か、無駄足を踏まさせられている。
寶生山 常楽時
歩いていると、お寺があった。立派な石柱が目についた。
大きくはないが、立派な感じのお寺だった。
寶生山常楽寺。高野山真言宗のお寺だ。
同じ名前の常楽寺は、電車でもう少し先の厄神駅の近くにある。そこの常楽寺の方が、有名なようだ。「わがまち加古川60選(No.39) 」にも選ばれている。
ここはそうではなさそうだ。ネット調べても情報があまりない。
階段を上がって門をくぐると、本殿が正面にあり、向かって左はお寺の建物と庭があり、右側には広く空き地があった。何をするのだろうか?何かあったのだろうか?
その空き地を横断したところにGoogleマップのルートの道があった。
聖徳閣跡と展望台
常楽寺境内の広い空き地を抜けると、下の道路から上がってきた道に出ることができた。その道が、googleマップの目的地ルートの道。そのルートを歩いて少し上がると、道はなくなった。ルート通り行けない。しかし、横には「OAAはりまハイツ」と書かれた看板がある薄暗い誰も使っていないような石階段があった。とりあえずそこを上がった。
何があるのか?ちょっと不安になったが。「OAAはりまハイツ」とはなんだろう?マンションか、何かの寮か?とりあえず上がればその建物に辿りつけるだろうと思い上がった。
階段を上がりきると大きな碑があった。何が書いてあるのかわからない。
説明がないか探すと少し離れたところにあった。読むと「聖徳閣跡」とあった。
この辺りに昭和の初めに大きな木造風のコンクリートの建物があった。説明にある写真を見ると、山の上に大きな建物がどんと乗っているような感じだった。眺望は良かっただろうと思う。
先には大きな建物があるので眺望はわかならない。あとでわかったのだが。この建物が「OAAはりまハイツ」だった。
この「OAAはりまハイツ」の建物の屋上が展望台になっていた。誰でも上がれそうなので上がってみた。
展望台からの眺めは、聖徳閣と同じよう眺めかと思う。その聖徳閣跡の説明板の説明によると、東は六甲山の摩耶の連峯が望め、南は播磨灘遠くに淡路島、西は西国路に続く平野が望めるとあった。天気が良ければ見えたかもしれない。天気は良くなかったので、そこまで見えなかった。が、加古川の街が見渡せる感じは良かった。
あの石碑はなんだろうか?関係あるのかかいか?分からずじまいだった。
「褶(比礼)墓」石碑
展望台を降りて、さらにどこに行けるか?歩いてた。石碑があった。文字の色がかすれていたて古そうだ。ライオンクラブの寄贈だが、随分前のことのようだ。
「褶(比礼)墓」と書かれていた。
印南別嬢(イナミノワキイラツメ)」墓のようだ。読んでみると。この人は、本日の目的地の「稲日大郎媛」と同一人物。「稲日大郎媛」のご遺体は加古川に沈んでしまったようで、どうもこの説明からすると、日岡御陵には稲日大郎媛の遺品が埋葬されているようだ。