六孫王寺から八条通りを歩いて、
京都駅前過ぎて、南に折れて、
九条通り鴨川を渡る高架橋
そして九条通りへ
いよいよ鴨川を渡る。
朝、桂川を渡り、



昼過ぎ頃に鴨川を渡る。


この頃には朝の雪が嘘のように陽が差し出した。

少し視線を左に向けると京都タワーが小さく見えた。

鴨川をすぎると、鴨川運河。
この水は琵琶湖からの水。
鴨川は北山からの水。
同じ水でも水の元が違う。
いずれこれらは、宇治川になり、淀川になり、大阪湾へ。

過ぎると
東福寺駅
この駅はJRと京阪が並んである。
手前が京阪電車、奥がJR。

なかなか複雑だ。
この踏切は車ではあまりと下りたくないと思った。
この日歩いたのは自動車用の高架路。
鴨川、鴨川運河、JR・京阪電車を跨ぐ。
鴨川を渡るだけの高架でない橋もある。
高架路を降りて、
高架路は九条通り。
下りれば、東大路になる。
ずっと歩けば、京都の観光の名所がたくさんある。
泉涌寺へ続く泉涌寺道の入り口、智積院、豊国神社、豊国廟、京都博物館、三十三間堂、大谷本廟、安井神社、八坂神社、知恩院、白川疎水、満足稲荷神社、少し離れるが平安神宮、熊野神社、聖護院、百万遍知恩寺、一条寺ラーメン、北山通りで修学院駅ch近くで終わり。
今回は東大路通りを上がって行くことはしない。
東大路に入ってすぐ、角を曲がった。
到着したのが、龍尾神社。
瀧尾神社


情報によると、この拝殿の天井に龍の彫り物があるという話。
拝殿の前まで行って
覗き込もうと、拝殿へ上がる石段を一歩踏むと・・・・

横から声が、
「石段を上がるとお金がいります。」と言われた。
どこからした声か?
見ると、拝殿の横にあるプレハブの建物の窓が開いて、
そこにおじさんがいた。
今は特別拝観だから、拝殿に上がることができる。
拝観料は500円
拝殿に上がって、龍の彫り物を拝むことができるようだ。
500円は払った。
プレハブの窓には、お守りなどが並んでいた。
そこに龍のおみくじがあった。
それもかった。
拝殿天井「龍」が飛んでいるように
拝殿に上がって、
江戸時代後期の彫物師である九山新太郎が製作した全長8mに及ぶ龍の木彫り像が飾られている。
彫物師の九山家は当主が代々九山新之丞を名乗り、
その一派は祇園祭に登場する大船鉾の龍頭も手がけたとされており、
禁門の変で焼失した大船鉾を2016年に再現した際には、現・九山新之丞が船首の龍頭のモデルとして瀧尾神社の龍を参考に用いた[5]。
この龍の木彫り像はあまりにも精密に作られていたために、現地住民の間で「夜になると龍が動き出して水を飲みに行く」という噂が立ったため、神社によって逃げ出さないように金網が敷かれていたことがある(現在は金網が撤去されている)
(ウィキペディア「瀧尾神社」より)







スマホの広角で拝殿の龍をすべて納めてみた。

本殿

瀧尾神社 概要
(ウィキペディア「瀧尾神社より)
主祭神
大国主神
弁財天
毘沙門天
創建年代は不詳であるが、平安末期に書かれた『源平盛衰記』には「武鶏ノ 社」という記述があることから、この頃には存在したと考えられる[1]。
なぜ「武鶏ノ 社」が瀧尾神社」と同一とされるのかな。
読み方「たけうのやしろ」からだろうか?
訛れば「たきお」になるのか?
しかし、応仁の乱によって焼失し、吉坂に移って多景の社と改称して鎮座していた[2]。
1586年(天正14年)10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿(京の大仏)を建立したことに伴って現在地に遷座した[1]。
その後、宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され、社号も多景の社から現在の瀧尾神社と改称した。
本殿は貴船神社奥院旧殿を移築したもので、拝殿など計8棟が京都市指定有形文化財である。[3]また、泉涌寺の僧の守るところであったともされる。
本殿の東側には
摂社末社の三社が並んでん祀られていた。
金刀比羅宮 (祭神:崇徳天皇)
瀧尾天満宮(祭神:菅原道真)
大丸繁栄稲荷 (祭神:稲荷大神)
並んで祀られていた。

その前には三嶋神社
その横には「陰陽の石」


他にも摂社末社
・愛宕神社 (祭神:愛宕大神)
・ 妙見宮 (祭神:妙見大明神)
・三社 門出社 (祭神:不明)
朝日社 (祭神:不明) 天満宮 (祭神:菅原道真)
本殿の裏にまわると、民家らしい家があったが、
神社に関係のある人の家の雰囲気だ。

本殿の後ろを通り一周して本殿の横に出た。

手水舎

手水舎の龍。
わりと細工が細かそうな感じがしないではない。

絵馬堂

地図