「まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき」の続き。
「し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう」と歩いてみた。
★し (四条通り)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
四条通りは、京都の中心と言っても過言ではないほど、混み合っている。
この日も、東向きは烏丸四条交差点付近は、バスやら自動車が入り乱れている感じだったが、新町通りあたりまで西に行くと、すいていた。
↓この先は、四条烏丸から四条河原町そして鴨川を超えて八坂神社。
★あや(綾小路)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
東は寺町通から西は天神川通の二筋西まで。重要文化財の杉本家住宅をはじめ、裕福な商人の多かった通りである。坊城通下ルに壬生寺、新選組壬生屯所跡がある。(ウィキペディア 「綾小路通」より)
新町通と綾小路の交叉するあたり。
★ぶっ(仏光寺通)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
東は鴨川右岸堤防から西は佐井西通まで。名称は、天正14年(1586年)に移転してきた佛光寺の北に面することに由来する。近世までは現在の高辻通を仏光寺通と呼び、仏光寺通を旧称の五条坊門通と呼ぶこともあった。
仏光寺。高辻通りから撮った。高辻通りからの方が入り易そうだ。
★たか (高辻通り)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
高辻通りは、綾小路通りや仏光寺通りに比べて、片側一車線の交通量の多い通りだ。
東は鴨川右岸堤防から西は梅津街道まで。
通りの名前は、醒ヶ井通との交差点付近が洛中で一番高い所であったことに由来する。豊臣秀吉によって佛光寺が現在の地に移されてから、近世までは佛光寺の南に面するこの通りを仏光寺通と呼び、現在の仏光寺通を五条坊門通と呼ぶこともあった。また江戸時代には通りの柳馬場通から東洞院通にかけて藪があったため、藪の下通とも呼ばれていた。(ウィキペディア 「高辻通り」より)
★まつ (松原通り)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
かつての五条通り。清水寺の参詣道。ずっと東に行くと、鴨川を超えて、清水坂に続く。
西洞院通りと交差することろに義経と弁慶が出会った場所とされている五條天神社がある。
★まん (万寿寺通り)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
平安京の樋口小路にあたる。松原通と五条通の間。 東は寺町通と河原町通の交差点から、西は葛野西通まで。東の延長線上の路地と、さらに東の鴨川をはさんで六波羅裏門通につながる道も万寿寺通の名前で呼ばれることがある。
★ごじょう (五条通り)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
東西に走る通りで幅の広い道路
堀川五条から東は国道一号線、西は国道9号線になっている。
通りの東は東大路通との交差点である五条坂交差点付近から五条坂と呼ばれ、五条坂交差点からは清水寺に向かう細い道となり、清水道(松原通の東端部)と合流する。なお、国道1号は東大路通を立体交差で越えて五条バイパスとなり、渋谷通と合流して東山を越え山科盆地へ続く。
平安京の六条坊門小路にあたる((ウィキペディア 「五條通り」より)
東向き 烏丸通り、河原町通り、鴨川を超えて五条坂、国道はバイパスを通って東に、五条通りは五条坂をのぼって清水寺に、清水寺の手前で松原通りと合流する。
秀吉が方広寺を建立したときに、方広寺への参道として五条通りとされたようだ。旧五条通りは、松並木があっため松原通とされたようだ。
西向き
ここさきは、わかりにくい、通りの名前が変わっていたりするなど、諸説ありる。
★せった (雪駄屋町通 現:楊梅通)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
★ちゃらちゃら (鍵屋町通・銭屋町通)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
↓現鍵屋通
一本南の銭屋通とも
★うおのたな (現 六条通?新町から)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
あるサイトによれば、六条通りとあった。京都検定の記事も書いてあったので、京都検定は六条通が「魚の棚」になるかもしれない。
下魚棚通(七条通の一筋南の通)から魚市が移転し、魚棚通とも呼ばれていたが、下魚棚通と区別するために東寺内魚棚通とも呼ばれていました。現在も新町通から油小路通までは小規模な六条商店街がありますが、これはかつての魚棚の名残であり、道幅も当時から変わりません。(一路一会「六条通」より)
★ろくじょう (六条通 三哲通(塩小路通り?)
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう せった ちゃらちゃら うおのたな ろくじょう
二条、三条、四条、五条、七条、八条、九条などと比べると、目立たない通りだ。
あまり存在感がない通りだ。
三哲通りは今の七条より南の京都駅近くにある「塩小路通」だという説がある。
現六条通。東から新町通突き当り、少し北に上の「魚の棚」の商店街のような通につづく。
あとは七条、八条、九条と大通りが続きます。
東西の唄には別のバージョンがあります。
坊さん頭は 丸太町
つるっとすべって 高屋町
水の流れは 夷川(えびすかわ)
二条で買うた 生薬(きぐすり)を
ただでやるのは 押小路
御池で出逢うた 姉三(あねさん)に
六銭ももろうて 蛸買うて(たここうて)
錦で落として 四かられて(しかられて)
綾まったけど(あやまたけど) 仏仏と(ぶつぶつと)
高(たか)がしれてる松(ま)どしたろ
丸太町から松原通まで。