【京都の街の変遷】京都御所(土御門内裏)、里内裏、平安京大内裏

京都御所は天皇陛下の住まいだった言うのは。言わずもがななこと。今でも使おうと思えばすぐにでも使えるようだ。

今の京都御所はとても広くて、広い紫宸殿などもあってとっても立派だ。

↓京都御所紫宸殿(2017年4月撮影)紫宸殿の辺りだけでも十分広い

京都御所紫宸殿2017年4月30日

しかし、今の京都にある京都御苑の京都御所が完成したのは1856年。

元々この辺りに、土御門東洞院殿があった。広さは半町で、のちに一町まで広げられたそうだ。

●京都御所の広さは、
 115,062平方メートル(453m×254m)。
●京都御苑は
0.92㎢(約920,000㎡・92ha)(南北約1,300m×東西約700m)920,000㎡
環境省が管理する国民公園としては
0.67㎢(約670,000㎡・76ha)
●土御門東洞院殿(土御門内裏)は
7,200平方メートル(約60m×120m)
本来の内裏の11%
●足利義光が増築後の土御門内裏は1町
14,400㎡
本来の内裏の22%

ちなみに

●平安京の内裏(本来の内)は
65,700㎡(300m×219m・南北1,000丈×東西73丈)
●平安京の大内裏は
約1.7㎢(約1,700,000㎡)(南北約1.4㎞、東西約1.2㎞)

※1町の長さを約120mとすれば、(現在の1町は約109m)
※上記の面積は、資料により微妙に違うが、おおよそ似たような数字。

f:id:m3785com:20140706223128j:plain2014年7月撮影

   

 

京都御所・土御門東洞院殿(土御門内裏)

京都御所は、天皇が長く住んだ土御門東洞院殿の約10倍以上の広さ。

その土御門東洞院殿を元に造られたのが京都御所。

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2014年7月撮影。蛤御門から入ったところ辺り、この少し先に見える壁辺りが土御門内裏があったのだろうか?

天皇が暮らし始めたかというと、1331年に鎌倉幕府が立てた光明天皇が、土御門東洞院殿が里内裏としてから明治天皇が東京に奠都する1869年まで御所として使われた。

今の京都御所は、土御門東洞院殿を改装して、現在の規模になったようだ。竣工したのは、1855年。(安政度内裏)

今の御所は、明治維新で天皇陛下が東京に奠都した1869年までの14年程度しか住んでいないことになる。

もともと天皇の住まいは、大内裏の中にある内裏だった。

↓千本丸太町の交差点にあった案内

当時の建物は木造。よく火災に遭った。何年か前に再建なった沖縄の首里城が火災にあった。巨大な木造の建物がここまで燃えるのかというのをテレビで見て知った。
大きな大内裏も一度火が付くと、首里城のように燃えたのだろうか?
そのたびに天皇は京の街中の貴族の家に住んだ。それが里内裏。
平安京の区画割は、坊条制が敷かれ。坊ごとに区割りされた。一坊は4保に別れ、一保は4町からなった。一町は約120m四方の広さ。おおよそ貴族の家は、1町程度だったのようで、里内裏の広さは1町か2町、狭いときは半町だったのだろう。

 

   

 

光明天皇が東洞院土御門殿に住み始める前。
天皇、上皇の住まいは転々としたようだ。
今読んでいる本(まだ最初の方を読んでいる)

「京都を壊した天皇、護った武士「一二〇〇年の都の謎を解く」

今読んでいるのが、承久の乱後から天皇家が大覚寺派と持明院派にわかる時期を読んでいて、このころの天皇は内裏には住んでおらず、根本は大内裏の内裏だが、天皇は京の街中にある里内裏に住んだ。

天皇が譲位すると住んでいた里内裏を新し天皇に譲り、自分は別の場所に移った。

天皇と上皇は同じところに住んではいけない決まりがあったようだ。

さらに、大覚寺派と持明院派と天皇の位をほぼ順番に譲り合った結果、天皇や上皇の住むところがいくつもできた。

今読んでいるあたりでは、

承久の乱の後、天皇を決めるのは幕府となった。「武家執奏(ぶけしっそう)」。
これから先は天皇は幕府が決めるようになった。これに逆らった天皇家の人はいなかったが、ただ一人を除いて。
逆らったのは、鎌倉幕府と戦った後醍醐天皇。
後醍醐天皇の頃に、大覚寺派と持明院派を南朝(後醍醐天皇系)と北朝(幕府側)に別れ戦うようになる。足利義満が納めるまで続く。
もとの原因は、足利尊氏ではないかと思う。祖父がまいた火種を孫が納めた感じ。

鎌倉時代には、天皇は京の街を転々したようだ。

「京都を壊した天皇、護った武士「一二〇〇年の都の謎を解く」を頼りに、8月に今はもう跡形もない、鎌倉時代の初めころに天皇や上皇が住んだという里内裏の跡を探して歩いてみた。ーーーつづく

 

下の地図は、平安京の場所をお落とし込んでみた。

参考

文化史07 内裏から京都御所へ

京都御苑 - Wikipedia