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吉田神社
東一条通りを歩いていると、大きな鳥居が見えてくる。
おじさんが疲れたのか鳥居の下休憩していた。
上の写真は、そのおじさんを加工して消した。
鳥居をくぐってしばらくあるくと、石段があった。
下から見上げると、紅葉しかけた木の葉の部分だけ陽があたって、ライトアップされているような感じだった。
階段を上がり切ったところに吉田神社があった。
この時期は七五三。七五三参りの人だろうか、そこそこ、正装した人を見かけた。別の、式があるのかもしれない。お参りした時、神官さんが中で、儀式をしていた。
吉田山
吉田神社があるのは吉田山の南端のぐら。昔はもっと広かったようだ。
吉田山は、歴史的に重要な位置づけの山だ。
吉田山からまっすぐ西に行くと、仁和寺のあたりの御室にある双ケ丘(ならびがおか)に至る。吉田山と双ヶ丘を結ぶ線が、平安京の内裏の位置に関係しているといわれている。
吉田山は、京都盆地の北東部分で、東山から少し離れたところに、小高くある山というか丘のような山。
周辺には京大があり、山の東側をあるいたが、おちついたたたずまいの家がならんでいた。
↓吉田神社からさらに上に道が続いていた。
↓おそらく「吉田神社斎場所大元宮」だと思う。
そこをすぎるととまた、鳥居があった。この山は神社が多い。
進むと、石碑があって、山の道があった。あとで、地図で見ると、そこ上がっていくと吉田山の頂上近くに行けそうだ。
吉田山には、神社が多くある。由緒ある山だからだろう。
宗忠神社の鳥居。
下り坂に入ると、寺院の屋根が見えてきた。
吉田山(よしだやま)は、京都府京都市左京区吉田神楽岡町に所在する孤立丘。別名は神楽岡(かぐらおか)や神楽ケ岡(かぐらがおか)であり、歴史的には吉田山ではなく神楽岡と呼ばれた[2]。京都盆地北東部にあり、標高は105mである。東山三十六峰に含まれるとされる。
平安京の基準点説 国語学者の吉田金彦は藤原京の大和三山と対比させるように、船岡山(北区)、吉田山、双ヶ丘(右京区)を平安京の「葛野三山」と名付けている[4][5]。一般に船岡山の正中線が平安京の中心線とされるが、平安宮の大極殿は双ヶ丘と吉田山を結ぶ直線状にあり[4]、吉田金彦は双ヶ丘と吉田山が大極殿の位置の基準となったのではないかと考察している[4]。平安京遷都の詔には「三山が鎮をなす」とあり、この三山はいずれも孤立丘である船岡山、吉田山、双ヶ丘だとする説がある[6]。
(ウィキペディア「吉田山(京都市)」より)