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フラワーロード
兵庫県神戸市中央区にある、加納町1丁目から神戸税関(税関前交差点まで)を結ぶ三宮の幹線道路で、兵庫県道30号新神戸停車場線(ひょうごけんどう30ごう しんこうべていしゃじょうせん)の路線名で県道(主要地方道)に認定されている路線の愛称である[1]。
フラワーロードの全区間において、明治時代初期までは、生田川の水路であった。神戸開港に際しての条件とされた外国人居留地の整備に際し、天井川であった生田川の治水対策が急務として生田川の付け替えが行われた[2]。旧生田川の水路は道路として整備され、さらに戦後になって歩道および中央分離帯に花を植えるようになったことや花時計が誕生したことなどからフラワーロードと命名された。(ウィキペディア「フラワーロード・神戸」より)
フラワーロードの地下部は「サンチカ」という地下街と駐車場になっている。
東遊園地(市役所・震災の記憶・花時計)
神戸市役所の南には東遊園地がある。
こあたりには、震災の記憶を残すモニュメントが多くある。遊園地というより公園。
ウィキペディアで調べてみると、1868年にできた外国人居留遊園で、当時は外国人専用だったようだ。ボーリング発祥地などもある。
フラワーロード沿いの東遊園地手前には、日本でのマラソン発祥地があった。日本のマラソン発祥地は他にもあるようだ
日本マラソン発祥地の碑
明治42年(1909)3月21日、神戸の湊川埋め立て地から大阪の西成大橋東端までの約32キロの「マラソン大競走」が行われました。日本で「マラソン」という名称を使ったのは、この大会が初めてと言われています。(神戸市 神戸をしる「日本マラソン発祥地神戸」より)
震災の慰霊モニュメントと震災の記憶
フラワーロード・東遊園地には、阪神大震災の慰霊と記憶にモニュメントがある。メリケンパークにも「阪神大震災メモリアルパーク」があった。
このあたりを歩くと、あの当時のことを思い出す。大阪の自分の住むあたりはそれほど大きくなかったが、テレビに映し出された光景は今でも鮮明に残っている。余震のたびに、不安が募った。
当時大阪で大地震が起きると言われていた。そのとき起きると言われていたことが、神戸で起きた。
阪神大震災以降、東日本大震災をはじめ、地震以外でも未曾有の災害が頻発するようになったように思う。
震災メモリー。
被災したフラワーロードの歩道。
整備された歩道に、タイルが割れてアスファルトで補修しているところがあった。横に説明があ。
阪神大震災の記憶
地震で、マリーナ像が倒れ、その時時計もこれた。時計は、地震でマリーナ像が倒れた時をしめしてる。
1.17希望の灯り
こうべ花時計 移転中。
神戸で「花時計」は有名だ。道路の名前や地下鉄の駅名にもなっている。神戸のメインロード「フラワーロード」も花時計にちなんだもののようだ。随分前だが、神戸にはよく来ていいた頃があった。震災前だった。あって当たり前のもので、特に興味を持つこともなく「花時計」には立ち寄ったことがない。どこにあるのかも興味がなかった。フラワーロードの近くにあるだろうとしか思っていなかった。
今回に行くにあたって、花時計の場所をGoogleマップ調べた。フラワーロードの南の終点近くの神戸税関前の、国道2号線とフラワーロードの交差点の北西角にあった。「花時計」とついた道路や駅からは相当はなれている。変だと思った。
調べてみると、もとは、もっと山側の三ノ宮駅近くの、まさに「花時計」の名前が付いた花時計通りのとフラワーロードの交差点の南西にあったようだ。近くには「花時計」の名前がつく駅もあった。神戸市庁舎2号館の建替えで、2018年11月29日に 神戸市役所北にあった花時計は止められて、東遊園地の今の地に暫定的に移転されたようだ。今年2019年(平成31年)3月28日に再起動した。最終移転地は未定とのこと。「花時計」市民から親しまれ、市民の寄附で作られ神戸市に寄贈されたようだ。
今の花のデザインはラグビーワルドカップをイメージしたものだ。