路線バス・熊野本宮大社前から紀伊田辺駅まで

本宮町に行った。仕事の関係なので、観光は皆無。

 

帰りは、本宮大社前から、バスに乗って紀伊田辺駅まで乗って、くろしお32号で大阪にもどった。日帰り仕事。

冬至が近いとあって、山に囲まれた本宮大社付近は日が陰るのが早いように思う。

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日が陰りかけた15時すぎバスに乗った。バスは市バス程度の大きさ。乗客はバス半分ぐらい。それほど混んでいない。

バスは紀伊田辺駅へまっすぐ向かうのではなく、色々立ち寄りながら主に国道311号線を通り紀伊田辺へ向かう。

有名な温泉も通る。千人風呂で有名な川湯温泉、渡瀬温泉、世界遺産の湯の峰温泉に停まる。

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湯の峰温泉でほぼ全員降り、乗客はひとりになった。

バスは時として交通量と信号が少ない311号線をガタガタ、ミシミシと音を立て、時として上下に大きく揺れながら、法定速度で快走した。

温泉街を回った後しばらく走って、出発から1時間ほどで熊野古道なかへじ美術館に到着する。山中に拓けた集落にある。ここ約5分ほど休憩する。この時分には日も山に隠れて、ほんのり暗くなっていた。

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休憩が終わると、この敷地内で待機していたバスがバス停に停まった。バスが休憩している間にバス停に来た女性が乗り込んできた。ここからは乗客二人となった。

熊野古道なかへじ美術館のあるあたりは、近露王子という神社の旧址あり、近露(ちかつゆ)というようだ。

 近露王子(ちかつゆおうじ)は和歌山県田辺市中辺路町の神社旧址。九十九王子のひとつ。国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部である。

 大阪本王子から箸折峠を越えて山を下り、日置川に架かる北野橋のすぐ左手にある。この王子は、九十九王子の中でも最も早い時期から現れたもののひとつであり、永保元年(1081年)の藤原為房の参詣記に「近湯」の地名が初見され、天仁2年(1109年)の藤原宗忠の参詣記には10月14日の条で、川で禊ぎをした後、「近津湯王子」に奉幣したとの記述がある。「ちかつゆ」という地名は、花山天皇の熊野詣のとき、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし(箸折)、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来すると伝えられる。

(ウィキペディア「近露王子」より) 

   

 

 

再度走り出したバスは道の駅「ちかつゆ」の横を通り再び311号線に戻り、制限速度を守りながら交通量の少ない311号線を快走した。

しばらく走ると運転手が車内マイクで次のカーブ回ったあたりで右手の山の中腹を見てくださいとアナウンスした。

カーブを回って右の窓を見ると、夕陽に染まった山の中腹に黄金に輝く大きな木が見えた。

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宝泉寺・福定の大銀杏だ。このあたりで有名なようだ。

この大銀杏を見る機会は二回あった。このカーブ過ぎると見えなくなり、次のカーブでも見ることができた。車を止めて写真を撮っている人もみえた。

このバスは太陽を追いかけるように、西にある紀伊田辺目指す。バス前方には夕陽に染まった空が広がっていた。

 

 

 

 

いくつもの集落を通り、狭い道路を通り、次第に道路が混み始める。田辺市の市街地が近づいてきた。

田辺市市街地に入った頃には、17時というのに日も暮れて夜の気配。

紀伊田辺駅前で降りて、バスは乗客ゼロで終点の紀南病院に向けて走り出した。

降りる時、運転手さんからお疲れ様でしたと声をかけられた。

いい運転手さんだった。

 

次の週にも同じバスに乗った。この時とは違い、平日で乗客も常時数人いた。

映像は、その時に撮ったもの。