青蓮院門跡、親鸞聖人が九歳の時に出家得度を受けた寺。天台宗のお寺。門跡とつくからには、位の上のお寺。また、親鸞聖人が九歳の頃、出家得度を受けた慈円和尚は青蓮院門跡の第3世門主だった。「愚管抄」作者としても有名だ。また、親鸞聖人の理解者であり、弾圧受けた法然や弟子の親鸞聖人を庇護したことがあるようだ。また、4度も延暦寺の座主になった。摂関家とも血縁のあった。
青蓮院は、梶井(現在の三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる(天台三門跡)。
江戸時代の天明8年(1788年)、天明の大火で内裏が焼失した折には、青蓮院が後桜町上皇の仮仙洞御所となった。このため青蓮院旧仮御所として国の史跡に指定されている。(ウィキペディア「青蓮院」より)
紅葉まだ早い 青蓮院門跡に行った。前は何度も通った。参拝はしたことはなかった。
はじめての参拝。写真をたくさん撮った。自己満足の写真。色づいている葉と色づく前の葉と陽の光が、ほどよくあたり、いい色合いだった。
華頂殿、日当たりがよく、暖かいのか、ここは参拝客が尽きることはなかった。11月中旬となると、気温も下が。日向ぼっこが暖かそうだった。
青蓮院門跡には、5本クスノキがある。敷地の築地の上に4本ある。一本だけ、境内にある。26mほど。見事な枝っぷりだ。
親鸞聖人にゆかりがあるお寺らしく。「親鸞聖人童形像」と歌の碑もあった。
入り口の門。ここにも、大きなクスノキが。