10月になって第2週から週末は天気が悪い。先週と今週はおまけに台風までやってきている。各地に大雨を降らせている。大雨は土砂災害や洪水を引き起こしす。困ったものだ。かと言って雨が降らないとまた困ったことになる。
南禅寺水路閣
哲学の琵琶湖疎水沿いの道を北から南に歩いていくと道は松ヶ崎浄水所若王子取水地突き当る。突き当りを右(西)に曲がって、鹿ケ谷通で左(南)に曲がり、鹿ケ谷通を南に歩くと南禅寺に行き当たる。
このあたり哲学の道沿いの琵琶湖疎水をはじめ琵琶湖疎水にまつわる施設や遺構などが多い。琵琶湖疎水記念館、蹴上インクライン、蹴上発電所など。
琵琶湖疎水の名所の一つに南禅寺の水路閣がある。これも今年の1月に行った。
薄日のさす日だったが、水路閣をみたあと南禅寺を見て回っていると雪激しく振り出した。
琵琶湖疎水は、京都に水の供給だけでなく活気を与えた。京都にとって大切な設備だ。明治維新による戦乱と遷都に京都の街は荒れ、人口は減り、産業は衰えた。そこで、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。
第1疏水は1885年(明治18年)に着工し、1890年(明治23年)に大津市三保ヶ崎から鴨川合流点までと、蹴上から分岐する疏水分線とが完成した。4月9日には明治天皇・昭憲皇太后の御臨幸を仰ぎ竣工式を挙行している。 第1疏水(大津-鴨川合流点間)と疏水分線の建設には総額125万円の費用を要し、その財源には産業基立金[4]、京都府、国費、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税も充てられた。 また、水力発電は当初は計画されなかったが、田邉らがアメリカで視察したアイデアを取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し、1891年(明治24年)に運転が開始された。この電力を用いて、1895年(明治28年)には京都・伏見間で日本初となる電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった。鴨川合流点から伏見堀詰の濠川までの鴨川運河は、1892年(明治25年)に着工し、1894年(明治27年)に完成した。(ウィキペディア「琵琶湖疎水」より
営業用として日本初の水力発電所ができ、電気供給ができるようになった。電気供給により産業は活性化し日本初の営業用の電車が走らせることができた。
1895年に京都遷都1100年の内国勧業博覧会が開催された。平安神宮はこのときに平安神宮の大内裏の復元として建築された。博覧会が開催できたのも琵琶湖疎水のおかげ部分もあるのではないかと思う。琵琶湖疎水今でもは水道用として利用されている。今でも京都市の人にとっては書くことのできない設備なのだろう。