五山送り火 「妙」と「法」、京都松ヶ崎・新宮神社(京都松ヶ崎)【京都市左京区】 20231008

 

時期的に外れた話になるが、

五山の送り火の「妙」「法」が灯る現場を見に行ってみた。

五山の送り火の大の文字の大文字山は、有名でだ。

五山の送り火の山の中一番高いのか、京都を歩いているとよく見える。

この山は標高が高い。465.4mある。

「妙」「法」がある山は、松ヶ崎西山と松ヶ崎東山にある。

標高はそれぞれ133mと187m。

①「妙」松ヶ崎西山

五山送り火「妙」

なんとなく跡が残っている。下の写真のような感じかな

五山送り火「妙」

ここは、宝池自動車教習所の南の道からよく見えた。

 

その前に、山の入り口の辺りがどのようになっているか、ひょっとして上れるかと重い行ってみたが、山の麓の、入り口付近は、フェンスが張られていてた。入山禁止となっていた。

よく見ると鹿がいた。

山歩きのページを見ると、普通に入って写真を撮ってるのがあった。山は続いているので、山の中を歩いていると、いけるのだろうが、下からは入ることができない。

②「法」松ヶ崎東山

法は右の「去」の文字の上の「土」の辺りだけが分かる。他は雑草が生えてわかりにくい。
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松ヶ崎の通りを歩いていると見えてくる。

五山送り火「法」

「法」の下には、大黒天の「妙円寺」があった。

大黒天妙円寺

妙円寺の境内からも「法」の文字の一部が見えた。

 

   

 

「妙」「法」の送り火はいつから?

「妙法」からは、法華宗の「 南無妙法蓮華経」を思い浮かべる。法華宗の勢力が京都で勢いがあった時代があった。それは室町時代。その時に法華宗が京都に広まった法華宗を今の守っている。天文法華の乱では、比叡山の山伏の手にかかった。

 「松ヶ崎妙法送り火」は,松ヶ崎妙法保存会によって維持されており,地元で法華宗(日蓮宗)の信仰が非常に強いと言うことと密接な関係があります。
(京都市「大文字五山送り火」より)

ずっと、本棚に眠っていた京都の本を読み始めた。

「京都の歴史を足元からさぐる」と言う書籍。

2008年初版本。

最初は、京の七野の話から、五山送り火の話になった。

五山の送り火の妙法についての話になった。

著者の想定であるが

「妙」「法」の送り火、とくに先からあったとみられる「妙」の送り火は、法華宗の示威と、天文法華の乱で命を失った法華信徒の死霊を慰めるためにおこなったのが起源ではなかろうか

天文法華の乱は1536年(天文5年)、延暦寺の僧侶が法華宗の松本久吉が宗論して敗れたのがきっかけ、延暦寺と法華宗の戦いで、法華宗は負けた。その時、松ヶ崎が最初に攻められたようだ。ただ、最初に手を出したのは、法華宗側という話もある。
法華一揆は、天文法華の乱を含めた、法華宗の乱。一向一揆と戦い、比叡山と戦った。
1532年(天文元年)には、入京しようとする一向一揆を将軍の義晴の命令で、法華宗細川晴元と六角定頼と木澤長政と共に一向一揆打ち破った。これが始まりだろう。その時、山科にある本願寺も焼き討ちに遭って全焼した。

photo.talk-turkey.com

 

この妙法は法華宗とはかかわりがあるといえる。

五山の送り火が始まったのは、諸説あるようだ。室町時代だったり、戦国時代だったり、それ以前であったり。

「妙法」の送り火のうち「妙」については、室町時代だと思われる。

「法」後からできたようだ。

妙法の文字の順番

NHKの「京都人の密やかな愉しみ」で五山の送り火の「妙法」は、なぜ、左からなのかという話があった。五山の送り火が、大文字山から灯り始めるなら、向かって右から読み始めると考えると、今の並びだと、「法妙」になってしまう。「妙」が右で「法」が左であるべきではないかという話があった。

どうしてかは、結局わからなかったようだ。

「妙法」は松ヶ崎の送り火とすると、松ヶ崎の山に灯るべきで、「妙」が松ヶ崎の左端(西端)あった為、後からできた「法」は自然右(東)なったということかもしれない。

   

 

③松ヶ崎

この辺りの町は、昔からの家が多くのこっているような感じがする。道路の横に澄んだ水の流れる水路があり、その水路沿いの街並みは、歴史を感じた。

日本の首都が平安京に移る頃から史書に登場する。松ヶ崎では。現在の妙・法の山の麓に寺院(松崎廃寺)が建てられ、初め天台宗の寺院として創建されたが、後に日蓮宗に改宗した。その為、現在でも旧家の大部分は日蓮宗を信仰している。しかし、昔はやはりのどかな農村地帯で、天皇の領地があった。また、平安時代から景勝地としても知られており、で言及さ。 (ウィキペディア「松ヶ崎(京都)」より)

④新宮神社(京都松ヶ崎)

「法」の文字の方へ向けて歩いていると、通りより山側に「新宮神社」があった。和歌山県の新宮へはよく行くので、関係あるのかちょっと立ち寄った。

特に由緒書きもなく、このあたりの氏神さんかと思えた。

山の麓にあり少し階段を上がっていく。

新宮神社(松ヶ崎・京都)

参道の階段の両側には、のある提灯をかけると思われる朱色の屋根があった。高台にあって、見晴らしがいい。

新宮神社(松ヶ崎 京都)

調べると、松ヶ崎学区のホームページに説明があった。

松ヶ崎の氏神様。

祭神:熊野速玉神(くまのはやたまのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、猿田彦神(さるたひこのみこと)

祭神に熊野速玉神がいらっしゃった。

熊野神社になんらかの関係があるのか。熊野神社大社は新宮市にある。

元々「大比叡大明神」と呼ばれていたようだ。

明治維新の廃仏毀釈神仏分離で妙泉寺から離れて「白髭神社」と号し、明治20年に今の名前になったようだ。

ひょっとして明治20年に熊野速玉神を勧請して、熊野速玉大社のある新宮市の新宮を使ったかと推測してみた。そんなことは一切書かれていなかった。

1306年に法華宗に改宗したとあるから、歴史は長い神社だ。

高台にあって見晴らしがいい神社だった。

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西へ数キロいたところにある上賀茂神社にも新宮神社がある。この神社は、上賀茂神社の中にありながら、貴船神社と関係があるようだ。