京都で散歩したコースはgoogleマップに残こしている。
京都の地図の上に散歩の跡を示す多くの線が交差したり重なっている。
三条・四条・五条・七条・祇園など東山界隈はあたりはわりと線が込み入っていいて、よく行ったのがわかる。
コースの線数は東山から上がるつれ薄くなってくる。
聖護院界隈はブランクになっていた。
聖護院
聖護院で有名なのは「八ツ橋」、大根かな。
江戸中期にあたる1689年(元禄2年)に、聖護院の森の黒谷(金戒光明寺)参道の茶店にて供されたのが始まりとされる。 (ウィキペディア「八ッ橋」より)
「八つ橋」の本店が聖護院門跡の近くにある。
八ッ橋のニッキの味は苦手だが、それ以外の味のものある。
それは、以前京都にいったときお土産買て帰ったことがある。
聖護院の八ッ橋の会社と違う会社のもののようだ。
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善院準提堂
そして、「人喰い地蔵」が祀られている積善院準提堂がある。
「人喰い地蔵」の「人喰い」は崇徳院上皇の「すとくいん」が訛ったもの、崇徳上皇の死後、京都に戦や災いが頻発し崇徳上皇の祟りだと恐れた人々が霊を慰めるために聖護院の森に一体の地蔵を祀ったと言われている。
崇徳院地蔵は本堂にむかって左の方の奥にあった。
日曜の日中でも、境内は訪れる人もなく閑かだった。
2月23日には五大力法要が営まれる。
入り口付近や境内に「五大力尊」ののぼりが立てられていた。
五代力尊は、金剛吼菩薩 ・無畏十力吼菩薩 ・龍王吼菩薩 ・無量力吼菩薩 ・雷電吼菩薩の五尊
聖護院門跡
積善院準提堂は、聖護院門跡の隣にあった。
かつてこの辺りは、聖護院の森だった。
今は大学や住宅地になっていて、
かつての風景を思わせるものには当然、遭遇することはなかった。
昔から東山連峰は、このように見えていたのだろうか。
後白河天皇の子が宮門跡として入寺して以来、代々法親王が入寺する門跡寺院として高い格式がある。仮皇居として使われたことがあり、皇室と関わりが深いようだ。
京都マラソン
この日は、京都マラソンの日だった。
京阪「神宮丸太町」駅を上がると鴨川沿いを通る川端通りには、いつもの自動車の通りはなく、色とりどりのシャツを着た人が走っていた。
公園でよく見かける休日の情景だった。
東大路通も同じだった。通りを渡るには、走者の邪魔にならないように渡れる所まで大回りしなければならなかった。
ランナーは走らないけれど、普段は自動車が行き交う丸太町通りもガラガラ。
疎水沿い
ゴール近くは、混雑。もう一踏ん張りとチアリーダーが応援していた。
ランナーそっちのけで、チアリーダーにファインダーを向けている人もいた。
平安神宮
ゴールには、経過時間の表示板があった。
4時間48分と表示板に表示されていた。
マラソンの起点は西京極。それからずっと京都の街を走ってゴールは平安神宮の大鳥居辺りまで、5時間も走っていたとは、脱帽ものだ。
そのあと、知恩院、円山公園と歩いた。
白川
知恩院
東山の別名「華頂山」と書いてあった。
冬枯れの風景の円山公園。