「かどで」 は「門出」「首途」・・・・ 首途八幡宮(かどではちまんぐう) 300212

この日は、下京の四条烏丸から歩きはじめて、上京の「白峯神宮」に参って、「上七軒」まで歩いた。

そこそこ歩いたと思う。

ちょうどいい塩梅かな、もう少し歩けた。

体力より時間がない。

もっと朝早く出るべきだけど。

グズグズしてしまうから出かけるの遅くなる。

 

最初の目的地白峯神宮を参拝したあと、「ゑんま堂」と「くぎぬき地蔵」のある「石像寺(しゃくぞうじ)」へ向かった。

グーグルマップを頼りに歩いていると、近くに以前チェックして保存している所があった。

覚えがないが、本を読んでチェックを入れたはず。

ちょうど、通り道にあったので、寄ってみることにした。

どこかなと思いつつ、歩いていた。

今出川通りから智恵光院通りを北に曲がった交差点近くに鳥居があった。

公園と古本市場の敷地に挟まれるようにしてありった。

間口がとても狭い。

首途八幡宮

通り過ぎそうになった。

「何かな?」と前まで戻った。

グーグルマップを見ると、チェックして保存していた場所はここだった。

「首途八幡宮」とあった。

「くび ・と・ はちまんぐう?」

「首」って文字があると、あまりいいイメージがない。

しかし、近くによって、よく読むと「首途」と書いて「かどで」とフリガナがあった。

「首」にも「はじめ」という意味がある。

「途」は「と」以外にも「みち」とも読むようだ。

「はじめ」の「みち」なので「かどで」ということかな。

「かどで」は一般的には「門出」と書く。

「首途」と「門出」はちょっとニュアンスが違うという話もある。 

 

 

 

鳥居をくぐり、境内に入った。細長い境内に石畳の参拝道がずっと続いていた。両側には狛犬、灯篭や木などが並んでいた。

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さらに奥に鳥居があり、その先には、上がっていく石階段が三本あった。

 人影も少なく、ここは、先ほどまでいた自動車や人が行きかう所は、まるで別世界の感があった。

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横は公園や古本店のある平らな街中ど真ん中に、こんもりとした高台に本堂があった。

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 「源義経奥州首途之地」の石碑。

ここは、源義経が、奥羽に旅立ったところ。

だから、「かどで」という名前が付いたのだだろう。

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首途八幡宮(かどで はちまんぐう)は、京都府京都市上京区にある神社(八幡宮)。源義経の奥州(東北地方)出発の地であり旅行安全の神社として崇敬を集める。

元の名を「内野八幡宮」(うちの はちまんぐう)といい、平安京の大内裏の東北(鬼門)に位置したため、王城鎮護の神とされた。桃園親王がこの地に邸宅を建て、境内地に桃の木を植えたりして、諸人の崇敬の厚い神社として、天皇家からも深い信任を得ていた。

かつて、この地には奥州で産出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次(かねうり きちじ)の屋敷があったと伝えられ、承安4年(1174年)3月3日、源義経は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、鞍馬山から当社におもむき、道中の安全を祈願して出発したといわれている。「首途」(かどで)とは「出発」を意味し、この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。このことから、特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。 (ウィキペディア「首途八幡宮」より)