宝山寺(生駒聖天) H290909

 

 生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。 江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。 江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると1000段余りあり西日本有数の規模を誇る。宝山寺のある霊峰・生駒山には宝山寺以外にも在日韓国人系のシャーマニズム信仰の場(朝鮮寺)が多く集まっている。(ウィキペディア「宝山寺」

   

 

ケーブル「宝山駅」をでて、参道の長い石の階段を上っていく。かつてのは駅の前からみやげものや食べもの屋が軒を並べていたようだが、今はではそのときの面影もなく、閑散とした感じだった。お盆も過ぎ、彼岸前ということもあってか、土曜日の午前だが、人影も少ない。話を聞いて想像するかつての活気があった参道とは、違うのだろうかと思う。

9月23日の彼岸には万登楼がともるようだ。

この参道以外に別の道もあるようだ。こちらは石階段がなく歩くのは楽なようだ。

振り返って、来た道を振り返ると。

   

 

さらに登ると住宅はなくなり、両側は木々になり石灯籠が並ぶ、このあたりから雰囲気が変わってくる。のぼりつめると最初の写真の「宝山寺」の入り口。

 

本堂からさらに上に上がることができる。