京都散歩 嵐電西院・嵐電天神川(三条)から天神川沿いを下立売通りまで・だるま寺・文子天満宮旧跡・奥渓家住宅・安楽天満宮・妖怪ビル(京都一条妖怪ストリート)・北野天満宮・千本釈迦堂【京都市中京区・右京区・上京区】 20240128

最近は、天満宮関係を目的地にして歩いている。

天神川もそうだ。北野天満宮の横を流れるから「天神川」とも。

今回は、天神川沿いを歩いて、目的地は、安楽天満宮と天満宮に関係ないが千本釈迦堂。それから先に進んで歩こうと思ったが、京都を歩いていると、予定外のところに行き当たり、時間をかけてします。これが、京都歩きで面白いところ。

嵐電「西院」駅

嵐電 西院駅 

嵐電 西院駅 車庫

この道は四条通。その向こうに、四条大宮行ののりばがある。

嵐電 西院駅 

嵐電 西院駅 

嵐電天神川駅

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嵐電天神川手前の天神川を渡る電車

嵐電

   

 

天神川三条交差点

遠くに見える山に少し雪が。

天神川三条

ここから天神川散歩

天神川(三条付近)

御室川と天神川の合流点

少し歩くと、御室川と天神川の合流点が見えてきた。

手前の橋は、御池通。

天神川

天神川御池交差点。ここの信号を渡った。

天神川御池交差点

北からの御室川と東からの天神川の合流点

天神川の流れはここから、西大路鳥まで、しばらく東(厳密にいうと東北東より少し東)に流れていた。

天神川と御室川合流点

合流点は、堰になっていた。流れる水は透明だった。

御室川と天神川合流点

 

天神川沿い散歩

天神川沿いを歩いた。

天神川

川には鴨がいた。歩いているとわりと多く見かけた。

天神川に鴨

道も途中で、行き止まりになり、いくつも橋を渡り、左岸から右岸とできるだけ、天神川沿いを歩いた。

天神川 二条裏橋

途中から川底が、整備されて歩けるようになってきた。

天神川

天神川底散歩

降りれるのかと、階段を探すと、階段があった。

天神川

川底に降りてみた。

橋にかかる木は、桜?

天神川(京都市)

しばらく、歩けそうだった。この先上がる所があるのかわからないが、上がるところがなければ、戻るつもりで、取り合えずまっすぐ進んだ。

川にはところどころ、対岸に渡るためか、飛び石が置かれていた。

天神川(京都市

飛び石を渡ってみた。どんくさいので、川に足を突っ込まないように、すばらないように気を付けて渡った。

天神川(京都市)飛び石に乗って下流の方

上に上がる階段は何か所あった。

このあたりがそろそろ終点。これより先は、川が北に流れを変える。

天神川(京都市)

この先は

川は大きく北に方向を変えていた。

天神川(京都市)

雨が降る日は、あまり歩かない方がよいかも。このような底の深いかわは、増水しやすいよう思う。

このあたりで、上がった。

歩いていて思った。歩いた範囲で、天神川に架かる橋には、橋脚がなかった。川の上に板を乗せたような構造だった。川幅が狭いからだろう。へたにつけるとかえって危ないのかな。

 

 

もうすぐ、西大路通りに。

天神川(京都市)

信号のあたりが西大路通り。

西大路通りを過ぎたあたりの天神川。

西大路通りを過ぎて

先ほどは様子が変わった。

天神川(京都市)

このあたりの橋は、石づくり欄干で、「紙屋川」と書かれていた。
JR山陰線の高架のした。

天神川・紙屋川(京都市)

高架をくぐりさらに歩いた。

丸太町通りに出た。

天神川・紙屋川(京都市)丸太町通り

さらに歩いて。

天神川・紙屋川(京都市)下立売通り

天神川沿いを歩いたのこのあたりまで。
この先は、一条通り超えて今出川通り目指す。そこに北野天満宮がある。
下立売通りが行き当たりだった。

   

 

法輪寺(だるま寺)

その近くに法輪寺があった。

法輪寺というと、嵐山にある十三参りで有名な法輪寺を思い浮かべる。

嵐山の法輪寺は真言宗。

この法輪寺は、臨済宗の妙心寺派のお寺で、別名達磨寺。

だるまがたくさんあるお寺。

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長くなっているので、詳しくはまた改めて。

天神道?天神川通?

だるま寺を出て、最初の角を左に曲がった。

後で知ったが、この通りがなんと「天神道」。

天神川沿いを歩き始めた時に、川の反対(右岸)を「天神川通」が通っていた。

あれからずいぶん東に移動し、天神川の左岸側から離れたところを歩いてた。

まさか、「天神川通」がこの辺りを通っている?と思ったが。

この通りは「天神道」で、「天神川通」ではなかった。

なんとも間違いやすい。

北野天満宮が近いので、天満宮に通じる道という「天神道」だろう。

なんともこの日は「天神さん」ばかりの散歩となった。

「天神通」はどこからどこまでか、Googleマップ手繰ってみた。

北はおそらく「北野天満宮」のある今出川だろう。

南はというと・・・

地図を手繰っていくと意外と長い。

ずっと南に下り、丸太町通りをすぎ

「まる・たけ・えびす・に・おし・おいけ・あね・さん・ろっかく」の「ろっかく」の六角通りで突き当る。

少し東にずれて

「たこ・にしき・し」の「し」の四条通りで少し西ずれて、

「あや・ぶっ・たか・まつ」の「まつ」の松原通り(旧五条通り)でいったん途切れる。

そして「五条通り」からさらに南へ、JRでいったん途切れ、JR線の南から少し行ったところで突き当たって終わり。

突き当たったこの通りは、松尾大社の還幸祭に神輿が、唐橋西寺公園に向かうときに通る通り。

北は、今出川通りまでだったが、今出川通りを渡って少し「新天神道」があった。

通りとか川が好きで、少し話がそれてしまった。

その天神道を北に歩いていると鳥居が見えてきた。

そこは「文子天満宮舊趾(あやこてんまんぐうきゅうし)」だった。

文子天満宮舊趾

文子天満宮は、以前紹介した。

また、文子天満宮ゆかりの地が・・

この日、梅の花咲き始める北野天満宮の文子天満宮をお参りした。

こちらは舊趾と言うこともあって、拝殿らしきものと、祠があるだけだtらq。

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祠の前に南天が。
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冬に京都を歩いていると、南天をよく見かける。

冬の色が薄い季節に南天・千両-万両の色は映える。

次の目的地、安楽寺天満宮を目指した。

奥渓家住宅二棟

地図の通り進むとこのあたりかと思ったあたりに。

今風の家が立ち並ぶなか、茅葺の建物があった。

どうもお寺ではない感じ。

こんなお寺もあるのか?とお思い前に行って案内をみると違った。

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奥渓家住宅は、上京区の史蹟百選になっているようだ。

そこに書かれていた説明は・・

 奥渓家の初代は江戸で医業を修め,元和6年(1620)東福門院の侍医として入洛し,一条烏丸に屋敷を構えました。この場所は下屋敷で,長屋門は享保9年(1724)の火災で焼失後,享保11年に再建されたものです。南の3間が切り取られ切妻造になっていますが,元は北面のように入母屋造であったと思われます。主屋は2階建瓦葺で,複雑な部屋割となっています。玄関には「蘇命散」の看板が掛かり,御典医と薬販売の格式をうかがわせる重要な建築遺構です。(上京区ホームページより)

目指していた安楽寺天満宮は少し南(来た方)の少し手前の角を曲がらないといけなかった。

   

 

安楽天満宮

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ここも書くと少し長くなるので、別の投稿で。

妖怪ビルディング・京都一条妖怪ストリート

安楽天満宮にお参りして、天神道に戻り、さらに北上。

「京都一条妖怪ストリート」という看板が目に付いた。

京都一条妖怪ストリート

妖怪ビルディングの前にかかる看板。

妖怪ビルディング

この辺りは一条通りが近い。

一条通りには、ここから東に行くと、安倍晴明の式神が橋の下にいたともいわれ、また、死者が蘇ったといわれる「一条戻橋」があったり、晴明神社があったり。

不思議な話の多い通り。

一条通りは、平安京の北の端。

平安時代には町の北の果て、妖怪がでると思ってもおかしくないかも。

毎夜百鬼夜行があったのだろうか?

入っていよいのかわからないが、とりあえず入ってみた。

 

北野天満宮

今出川通りに出て、「あっ」と思った。

北野天満宮の近くだった。

これは、北野天満宮によらないといけないと思った。

当初の予定では、寄る予定でなかった。

寄ってよかった。

梅の花が、咲き始めていた。

まだ一月だけど、もう春が違いと思うことができた。

北野天満宮

北野天満宮 梅の花

 

photo.talk-turkey.com

 

千本釈迦堂

千本釈迦堂(おかめ信仰)

そして最終目的地「千本釈迦堂」

12月の「大根炊き(だいこだき)」で有名。

そして、旦那さんの危機を救って、自刃した「おかめ」の話がここだったとは思わなかった。

本堂にそのおかめの話の絵がおかめの人形とともに展示されていた。

おかめ信仰の発祥の地のようだ。

建物の瓦にも「おかめ」が

千本釈迦堂 おかめ

長くなったので、千本釈迦堂についても別校で紹介します。


この日の行程。

Googleマップで6km程度だったが。

iPhoneの「ヘルスケア」では、この日一日で17,728歩、距離にして12.1kmだった。

歩いている時間帯では、約9.3kmぐらいだった。