12月はわりと歩いたのか、一回で歩く距離も少し長くなり、色々なところを駆け足で回ることが多かった。
訪問したところ、それぞれに面白みがあって、それらを一つにまとめるとすごく長くなってしまうので、一か所づつ分けて、写真を載せるようにした。
すると、12月初めに行った時に撮った写真が、こんな時期になってしまった。
まだ、12月に行った時の写真がある。一月に歩いた写真もまだまだある。
今回は12月3日に訪れた知恩院の天満宮の写真。
ウィキペディアの「洛陽天満宮二十五社巡拝」のリストの十五番に「梅宿菴天満宮」があった。
備考の説明には「十二社知恩院内、塔頭松宿院にある松風天満宮か。」と書かれていた。
ここが、洛陽天満宮二十五社巡拝の天満宮でなかったとしても、知恩院に天満宮があるとは、まったく思わなかった。
知恩院と天満宮は全く関係がないと思っていた。
法然上人と菅原道真公とは、イメージが違いすぎる。
松風天満宮は、知恩院の北門から黒門を経てますぐあるいて古門の手前にあった。
何度も通ったところにあった。
由緒書きを見たが「松風天満宮」と「梅宿菴天満宮」とのつながりはない。
別名「松宿院」というようだ。松が梅に変われば「梅宿院」となり、「梅宿菴天満宮」と近くなる感じがしないでもない。
洛陽天満宮二十五社はの中には、どこかわからない場所もある。
ウィキペディアの「洛陽天満宮二十五社巡拝」は・・・
本稿では菅原道真没後950年にあたる嘉永5年(1852年)に書された25社[1]を示す。類似の巡礼には菅公聖蹟二十五拝(全国の25社)や江戸二十五天神(江戸の25社)などがある。 (ウィキペディア「洛陽天満宮二十五社巡拝」より)
神泉苑にも「神泉苑天満宮」がある。何度か、神泉苑に何度か行ったことがあるが、あまり記憶がない。
しかし、写真を見返すと、弁財天の横に「洛中天満宮」の祠があった。それが「神泉苑天満宮」だろうか?
神泉苑内の「洛中天満宮」
「梅宿菴天満宮」が「松風天満宮」だとして、お参りさせてもらった。
気持ち次第だろう。
門の前に立って、門は開いているので、入っていいのだろうが、入ってもいいよという雰囲気はなかった。
こじんまりとした社だが、いい感じだ。
後から知ったが、独特の狛犬があるようだ。この日は気が付かなった。
牛もちゃんといた。
天満宮と牛はきっても切れない関係だ。
天満宮は敷地の少しだけだった。
お参りとしていると、神官さんと思われる人とすれ違った。その人に自分の存在はなかったようだった。忙しそうだった。