藤森神社(勝運の神社・主祭神十二柱・駈馬神事・刀剣鶴丸国永・京都刀剣御朱印巡り・王城鎮護の大将軍神社) 0230813

藤森神社は、勝運と馬の神様。

拝殿・その向こうに本殿。

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南門

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西門
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西門を入ると拝殿を横から見る感じでその手前に狛犬があった。

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境内

神社入って、ガランとした神社だと言う印象があった。建物や木々は敷地の端にあり、真ん中には南北に長い空間があった。強い日差しが地面にさし、地面の白さが眩しく、暑さが増した。神社は緑に覆われた空間というイメージとは違った空間だった。

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地図で見ると南北に長い敷地。

駈馬神事のためだろう。

駈馬神事が行われる神社と言えば、上賀茂神社の名前も上がる。御祭神が別雷命と同じだからか?

上賀茂神社の境内に入ると長い広い空間があった。

上賀茂神社。本殿の前には、芝生が青々として広スペースがあった。20217年8月6日

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境内には馬の像がある。京都競馬場のある京阪電車の「淀」駅まで数駅の距離。競馬関係の人もよくくるのだろうか。

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本殿まで続く広い長い参道。ここで駈馬神事が行われるのだろう。

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ずっと先に本殿がある。
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駈馬神事は5がる1日から5月5日に行われる藤森祭の神事のひとつ。

馬も通る?

馬の神社であるためか滅多に見れない案内があった。

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人と馬が広い通りを車は一車線ほどの狭い道を通るようになっている。

   

 

 

宝物殿・京都刀剣御朱印巡り

藤森神社・豊國神社・粟田神社・建勲神社の刀剣にゆかりの4社御朱印を集める。平成27年から行われている。

宝物殿に御朱印が展示されていた。

藤森神社は「鶴丸国永」。宝物殿は、この刀のレプリカを見ることができる。本物は宮内庁が保管している。刀剣以外にも馬にまつわる昔の鞍や鎧や鎧兜などが展示されていた。撮影は禁止なので写真はない。入場は無料。

参集堂と同じ建物、入口は授与所の隣にあった。

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京都刀剣御朱印巡り、過去の御朱印。
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鶴丸国永のキャラクターも展示されていた。

これらは奉納されたもの。鶴丸国永のイメージキャラの絵やフィギュアがあった。とても上手だった。
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絵窓堂

宝物殿の向かいにあった。

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大将軍神社・王城鎮護

藤森神社は、平安京遷都する時に王城鎮護のために東西南北に魔の侵入防ぐために4つの神社がある。

東:東山三条の大将軍神社

西:一条御前にある大将軍八神社

南:藤森神社に摂社大将軍神社

北:西賀茂にある大将軍神社

本殿の裏にある。

紫陽花

大将軍神社の横には紫陽花園がある。

本殿の横と南禁止口の鳥居こ横にある。

今年、紫陽花の花の頃に来ようかと思っていた。

 

主祭神は12柱

12柱の神がいつ勧請されたかはわからない。三つの神社が合祀されているようだ。

本殿中央

素戔嗚命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰

日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の関係は、応神天皇を中心に見ると、日本武尊は祖父、仁徳天皇は息子、神功皇后は母、武内宿禰は、曽祖父の景行天皇から仁徳天皇まで5代の天皇仕えたと言われている。5柱は天皇家の親族とも言える。

神功皇后が摂政3(203)年、新羅より凱旋の後、山城の国深草の里藤森の地を神在の聖地として撰び纛旗(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされた、それが当社の起こりである。現在、本殿東にある旗塚がその塚である。延暦13(794)年、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。(藤森神社「藤森神社縁起」より)

本殿中央が元々の神社のようだ。

本殿東

舎人親王、天武天皇

舎人親王は天武天皇の息子。

天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座。藤尾は現在の伏見稲荷の地である。永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀り、官幣の儀式が行われた。(藤森神社「藤森神社縁起」より)

860年(貞勧2年)この神社で執り行われた清和天皇の宝祚の時に行われた神事が藤森祭の始め。

 

本殿西

早良親王、伊豫親王、井上内親王

この3柱は、桓武天皇にと関係深い。

早良親王は桓武天皇の弟で皇太子だった。嫌疑をかけられ、淡路に流される途中で、無実を訴えたが認められず、自ら食を絶って憤死した。その後、桓武天皇の身内に不幸が起こった。早良親王の祟りと恐れられ、崇道天皇と追号され、母のゆかりの地(左京区上高野西明山)に祀られた。これが崇道神社。

延暦19年、親王は崇道天皇と追号され、塚本の地(京都市東山区本町十六丁目)に祀られた。
天長3年、伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀し、官幣の儀式が行われた。(藤森神社「藤森神社縁起」より)

井上内親王は、聖武天皇の皇女。光仁天皇の皇后。光仁天皇を呪詛したとして、息子の光仁天皇の皇太子他戸親王と共廃された。代わりに山部親王(桓武天皇)が立太子された。

伊豫親王は、桓武天皇の第三皇子。平城天皇への謀叛の罪で、食と断たれて自殺した。

いずれも桓武天皇の頃に起きた事件だ。

地図

藤森神社へのアクセスは、電車では京阪電車かJRだ。
京阪電車の場合、藤森神社ということで、同じ名前の京阪電車「藤森」駅でおりると、そこそこの距離を歩かないといけない。藤森神社だが、最寄り駅京阪電車「墨染」駅だ。「藤森」駅の次の駅。両駅とも普通電車しか止まらない。

 JRは「JR藤森」駅で下車。

周辺はわりと道が狭かった。