住蓮山 安楽寺 紅葉の名所のようだ。
インスタグラムで、このお寺の紅葉の写真を見た。紅葉がきれいだと思った。
霊鑑寺を出て、哲学の道より山沿いの道を歩いて行くとある。この日は、歩いていて、一目でわかった。門とその前の紅葉を撮ろうととすると人の集まりがあった。
混んでいそうなので、パスしようかと思ったが、とりあえず入ってみた。
拝観料500円。拝観料を払うと、リーフレットと一緒に、この季節限定ということで、ホカロンをくれた。ただ、この日は、わりと暖かだったので、いらないかなと、その分拝観料安くしてくれればいいのにと思った。
有名なところとあって、混んでいた。
どの方向にカメラを向けても必ず人がいる。
紅葉が綺麗のは入り口の門のあたり。庭園は、それほど広くなかった。よく手入れされていると思う。
本堂から短い廊下をわたると「椛(もみじ)」 というフリースペースがあり、カフェスペースや書籍などの展示があったり、休憩所として利用できるところがある。
住蓮山 安楽寺の逸話
一般的に「安楽寺」という名前だけが有名になっているが、やはり「住蓮山 安楽寺」で呼んであげないととも思う。
「住蓮山 安楽寺」には、法然上人の弟子 「住蓮坊」と「安楽坊」の二人の僧が開いた寺。この二人の講話を鳥羽上皇の女官二人 松虫と鈴虫を聞き感銘を受け、宮廷の生活より信心の道を選び、後鳥羽上皇が熊野詣で不在の折に、宮廷を逃げだした。二人が身を寄せたのは「住蓮」と「安楽」のお寺だった。
二人が逃げ出したことを聞いた後鳥羽上皇は烈火のごとく怒り、なんとしても探し出すようにと命ををだす。
住蓮と安楽は、信心ある人を差し出すことが出来ず、結果、匿ったことになってしまい、二人は処刑された。
鎌倉時代始めのころ、まだ浄土宗は新興で、従来の仏教派から、異端視されていたようで、この煽りを受け、師匠の法然上人も親鸞聖人も都を追放された。
二人が処刑されたあと、この寺は荒廃してしまった。流刑から戻った法然上人が二人を弔うために、新たに草庵を再興させ、この名前を付けたようだ。もともとは「鹿ケ谷」にあったようだ。
「松虫鈴虫寺」とも呼ばれているようだ。
安楽寺は、1207年(建永2)におこった建永の法難のきっかけとなった法然の念仏道場「鹿ヶ谷草庵」の後身の寺であり、寺宝として安楽房遵西・住蓮坊と後鳥羽上皇の女官であった松虫・鈴虫関連のものが残されている。山号の住蓮山は住蓮坊の、寺号の安楽寺は安楽房の名を記念したものである。 (ウィキペディア「安楽寺」より)