霊鑑寺門跡 秋の紅葉・春の椿の頃だけで特別公開 2018(30)1202

霊鑑寺門跡は、哲学の道からすこし上がったところにある。

前に行ったときは、入れなかった。今日は入れるかだろうか?スマホで調べても公開日はわからなかった。霊鑑寺門跡の方に向かう人がいるようなので、向かってみた。

上がっていってみると、ありがたいことに、開いていた。
今日が秋の特別公開の最終日だった。
拝観料は600円。予約なしでも拝観できた。

通常は非公開で、公開されるのは春と秋にそれぞれ二週間づつのようだ。

春は椿の咲くころだろう。秋は紅葉の頃。

庭園は、東山のふもとにあることで、高低差があることにより、自然を利用した、造園がなされ、見える景色も変化に富んでいた。青々した椿の葉と、上を見上げると紅葉と青い空、径沿いには、落ちたモミジの葉が苔の上につもり、いい色合いになっていた。



椿だろう?まだ花をつけていた。

建物内には、狩野派や円山応挙などの襖絵や、御所人形などが展示されていた。

12月にはいって、紅葉の盛は終わりの頃、まだ色づいた葉はのこっていたが、盛のころに来れば、もっと良かったかもしれない。

シーズン中は参拝客は多い。これは仕方ないだろう。

 

 霊鑑寺は臨済宗南禅寺派に属する尼寺である。後水尾天皇が「円成山霊鑑寺」の山号と寺号を勅許し、同時に皇女浄法身院宮宗澄」を得度入寺させたことにより始まり、以来明治維新まで5人の皇女・皇孫が入寺することになり、「霊鑑寺尼門跡」と称し、また所在する地より「鹿ケ谷比丘尼御所」や「谷の御所」と呼ばれている。(霊鑑寺門跡パンフレットより)

 霊鑑寺はもともとは、後陽成天皇の典侍であった持明院基子の隠居所であったが、寛永20年(1643年)に持明院基子の希望により、後水尾上皇が同地に寺院の建立を決めたのがはじまりとされる。女王は翌正保元年(1644年)もしくはそれ以前に同所を相続し移住した。承応3年(1654年)5月霊鑑寺と寺号を定められ、女王は得度し、法諱を宗澄、号を月江と号した。延宝6年(1678年)、40歳で薨去。(ウィキペディア「宗澄女王(そうちょうじょおう」より)

 交通(パンフレットより)
京都駅より市バス5系統「真如堂前下車」徒歩5分
京阪電車「祇園四条」駅、阪急電車「河原町」京都市営地下鉄烏丸線「四条」駅より市バス203系統「真如堂前」下車徒歩約5分