菅原院天満宮神社 菅原道真の生誕地 癌封じの神様もいらっしゃる。 20221231

菅原道真公の生誕の地

菅原院天満宮は菅原道真公の生誕の地。しかし、生誕の地は複数ある。

下京区の「菅大臣神社」や、南区の「吉祥院天満宮」など。

どれが正しいはわからない。

それぞれに産湯を使ったと言う井戸があるようだ。

菅原院天満宮に神社にもある。

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菅原家は

菅原氏の前身は、天穂日命の子孫で、野見宿禰を家祖とし、葬送を職掌としている土師氏である。天応元年(781年)に古人が改姓を申し出たことから菅原姓を称するようになった[1]。「菅原」の名は大和国菅原邑にちなむ。

古人は儒学を学び、桓武天皇の侍読となった[2(ウィキペディア「菅原家」より

そんな家系に生まれた道真公は、頭が良かった。右大臣に進むが、太宰府に流されることになる。

道真公を祀っているのが、北野天満宮をはじめとする天満宮。

歌人としても才能もあった。

百人一首にもある。

「このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに」

ちなみ、大阪の淀川区に「淡路」と言う地名がある。

これは、道真公が太宰府に流される途中で、今の大阪市東淀川区の西淡路あたりにある島を淡路と勘違いして立ち寄ったのが由来。

当時はこのあたりは、千里山まで海で、島が点在していた。

大阪市淀川区菅原に「菅原天満宮」がある。

 

菅原家住まいは広かった

ここは、菅原家があったところとにできた神社。

今は、京都御苑と烏丸通りを隔ててある小さな神社。
かつて菅原家が住まいの広さは、由緒書きを見ると

「菅原院は勘解由井通り(下立売通り)烏丸通り西一町(室町通迄)」と、南はどこまでかわからないが、南も次の通椹木通り(さわらぎとおり)までとあった。

そして、菅原院天満宮で買った「百人一首で京都を歩く」には、下記のようにあった。

菅原道真公生誕の地とされる。祖父清公、父是清が住居とした地といわれ、室町通東、烏丸通西、下立売通南、春日通北に囲まれており、鎌倉末期、洞院公賢編の有職故実き間する事典「拾芥抄」に記されている。

下の地図のようになるのではないかと思う。緑がかつての菅原院、オレンジが今の菅原院天満宮 

かなり広い敷地、鎌倉時代の天皇の住居の里内裏ほどの広さがあったのだろうか?

菅原道真公が生きた時代は、平安時代だから、時代は違うが。

菅原道真公というと、

日本三大怨霊とは一般に菅原道真・平将門・崇徳天皇(崇徳院)を指す言葉である

(ウィキペディア(日本三大怨霊)より

日本三大怨霊にランクされる菅原道真公だが、学問の神様として受験生から絶大な信仰を集めている。受験シーズンとなると北野天満宮、大阪天満宮など菅原道真公を祭神とする神社は、受験生やその家族が押し掛ける。

北野天満宮
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前述の日本三大怨霊の中で、一番人気は菅原道真公ではないかと思う。
いいにつけ、悪いにつけ、何かつけて、名前が出てくる。

日本人は、祟る神を祀り、祟り防止と他の祟りが来ないように願いをかける傾向があるように思う。

蛇足だが、

「呪術回線0」では、主人公の乙骨隆太は未経験ながら強力な呪力を持っていた。何故か、菅原道真公の子孫ということで、強力な呪力を持っていたと。そして、呪術師の最高レベルの五条悟とは遠縁という。菅原道真公の子孫というだけで、怨霊を倒す呪術のレベルが高いとされていた。

応天門というマンガでは

若い頃の菅原道真公をモデルにしている。いろいろな面で能力がある天才とされ、在原業平と、怪奇な現象などを推理して解いていく、天才少年として描かれている。

菅原道真公は、時代を超越した有名人となった。菅原道真公を京から追いやった天皇や公卿より有名になった。歴史の一流の人物だと思う。

天満天神

天満宮と天神は、双方「天」がつくので同一だと思うが、そうではない。

 「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。(ウィキペディア「天満宮」より)

「天満」菅原道真公の怒りが天に満ちる意味がある。

かつて、北野天満宮があるあたりには天神さんがおられたようだが、そこに北野天満宮が創建され菅良道真公が遷られたことで、天満と天神は同じようにみられるようになったのではないか。

大阪天満宮の近くも天満橋があったり、天神橋・天神橋筋商店街があったり、天満と天神が混在している。大阪天満宮のことを大阪では「天満の天神さん」ともいう。
菅原道真公は天神さんになった。

   

 

菅原院天満宮

この神社、菅原道真公の生誕の地とされているが、ここには梅の花はなかった。

しかし、牛はいた

天満宮といえば「臥牛」がある。

北野天満宮の牛

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↓本殿前の牛
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↓手水の牛
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何故「牛」しかも「臥牛」か

菅原道真公は丑年生まれと言うのもひとつ。

北野天満宮縁起絵巻では、以下のように書かれていたそうだ。北野天満宮のホームページにあった。

延喜3年(903)菅公が大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言があり、御遺骸を轜車(牛車)でお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬したというものです。

埋葬されたところが、今の、太宰府天満宮だそうだ。
前述した「大自在天」も水牛と関係があるようだ。

道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」

詳しくは北野天満宮のサイトを確認してもらえればと思う。

 

菅原道真公の産湯に使った井戸

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本殿

昨年年末に行ったり来た時

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2月に行った時は、工事中だった、
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がん封じのお守り

前述の通りこの神社には、梅の花らしきものはなかった。生まれた頃は梅とは関わりがなかったからかと思ったが。

梅がつく神様がいらっしゃった。

梅丸大神。

「できもの、はれもの、皮膚病、癌平癒の信仰」

癌封じのご利益があると言われている。

授与所では、癌封じのお守りを売っていた。

癌は、人にとってなりたくない病気。

年末に行った時は、このお守りを求める人がいた。

地図アクセス

京都地下鉄「丸太町」駅より徒歩4分。