月が変わると京都では何かが始まる。
7月は祇園祭の準備を始めていた。寺社が多いので月替わりで何かが始まることがあるのだと思う。
今日は10月1日。散策をしていると鳥居のところで何か作業をしていた。聞いてみると秋祭りの準備とのこと。
この神社は「安井金毘羅宮」。
秋季金比羅大祭の準備だった。
縁切りで有名な神社。
悪縁を切良縁を結ぶ神社。
東大路町に面する入り口。この前の信号を渡って東に上がると高台寺前、二年坂の終点にいたる。
縁切り縁結び碑
ここは、「縁切り縁結び碑」で有名だ。
お札がいっぱい貼ってある。
形代(かたしろ)と言って、身代わりのお札。
一度穴を表から裏にくぐって悪い縁を切り、今度は裏から表に穴をくぐって良い縁を結ぶ、あとは形代を碑にはる。
行ったときも年配の人が一生けっめいに碑の穴をくぐっていた。
「なにと縁を切りたいのだろう?」
たくさんの形代が貼ってあった。
ここは崇徳天皇、大物主神、源頼通が祀られている。
明治維新に神仏分離により、蓮華光院)安井門跡が廃された。今の呼び名になったのは戦後。
都名所図会巻之三「安井光明院観勝寺」によれば、真言宗の僧侶の大円法師が参籠した際に崇徳上皇の尊霊が現れて往時の趣を示したので、後白河法皇に奏達したところ、詔が下って崇徳上皇の尊霊の鎮魂のために堂塔を建立して仏堂に准胝観音を本尊として祀り、奥の社には崇徳天皇を祀るとともに、金毘羅権現・源三位頼政を合祀し、安井の金毘羅と称したとあり、「崇徳帝・金毘羅は一体にして和光の塵は同じうして擁護の明眸を... 利生霊験いちじるし」と記されている
江戸時代に讃岐・金比羅宮の大物主神と源頼政を召喚したようだ。崇徳院も讃岐に流されたことを思うと、京都この場所に「金比羅宮」があるのは納得できる。
崇徳天皇は、讃岐にながされ金毘羅宮で、すべての未練や欲を断ち切られたのが、「縁切り縁結び」に利益があるとされるようになったようだ。
崇徳天皇廟
崇徳院の祟りは、大きかったのか?
この辺りを歩いていると「崇徳天皇廟」がある。崇徳天皇にまつわるスポットが多くある。崇徳天皇と言えば「白峯神社」であったり、聖護院には崇徳院天皇にまつわる人食い地蔵があると言われている積善院提堤堂にある。一説に「すとくいん」が訛って「人食いに」なったと言わるようになったといわれている。
↓崇徳天皇廟