青蓮院(しょうれんいん)の天然記念物のクスノキ 枯れてしまいそうになっていた。300520 追記あり

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2019年7月28日(日)

3月と同じような感じだ。木の幹に草をまとったようになっている。先の方ではまだ、葉を出していた。

 

 

2018年5月20日

東大路通の知恩院前の交差点を、東山に向かって走っている華頂通りを歩いた。白川を渡り、ゆるい坂を上って突き当たったところが知恩院。神宮通りが知恩院の敷地のふちを南北に走っている。神宮通りは南は円山公園、北は平安神宮で行き止まる。

知恩院あたりの神宮通りは、アスファルト道路ながら、落ち着いた感じのある通りだ。

神宮通りを平安神宮に向けて歩くと、大きなクスノキが右手に見える。

そこは、青蓮院門跡。
法然上人の知恩院の横に伝教大師最澄の青蓮院があ門跡がある。

ここは、法然上人の弟子であった親鸞聖人が子供のころ得度を受けたところでもある。

青蓮院には大きなクスノキが5本ある。

神宮通り沿いの青蓮院の築地に3本。青蓮院の門の横の築地に1本。1本は青蓮院の境内ないの庭園にある。

神宮通り沿いに並ぶ3本の内、一番目立つ、神宮通りから青蓮院前の駐車場入る角にあるクスノキ。このクスノキは天然記念物にしてされて、象徴的な存在だ。
そのクスノキの葉がほとんど落ちて、枯れかけているようだ。太い枝が丸見え状態になっていた。
何かのモニュメントのようになってしまっている。


このクスノキの前の案内板を読むと、推定で樹齢800年ほどになるようだ。

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下の写真は、2017年(平成29年)8月26日に撮影したクスノキ。見た感じなんかやはり少し葉が少ない気がしないではない。

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神宮通りにならぶクスノキ。

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神宮通り沿いのあとの2本のクスノキは、葉をいっぱいたくわえて、青々としていた。

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門の前横のクスノキ。

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青蓮院のホームページに、クスノキのことが書かれたページがあった。2017年9月6日にアップされたページだ。

今までクスノキの不調があったがそれぞれ専門家の意見を聞きながら維持の努力してきたようだ。このクスノキの葉が落ちてしまった状態についても、専門家に意見を聞いたりして努力しているようだが、なかなかうまくなっていないようだ。

青蓮院シンボルようなクスノキ。目立つところにある上に、前に説明版があるので、多くの人がここで写真を取ったと思う。
また、以前のように、葉をいっぱいつけるようになってほしい。

華頂通りから青蓮院の前までの神宮通りは、アスファルトの車道で、観光シーズンにバスが良く通るが、それ以外の季節は、知恩院と青蓮院の木々が道路の上まで広がり、閑静な感じがする通りだ。

 

  青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。山号はなし。開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。

青蓮院は、梶井(現在の三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる(天台三門跡)。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王・入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を務め、格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。日本三不動[1]の1つ「青不動」のある寺としても知られる。

(ウィキペディア「青蓮院」より)

 

 

 

2019年3月16日(土)

青蓮院門跡の前を通った。クスノキの様子は、相変わらずほとんど葉がついていない。前からだが、幹のところがみどりになっているの目立った。ほかの植物が幹全体にまとわりついているようだった。

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