昨年五花街の一つ上七軒に行った。
京都ではなまちで有名なのは五花街。
あとは、四条通り周辺に集まっている。
先斗町、祇園、宮川。
祇園は二つに分かれており、祇園甲部と東。
祇園甲部、祇園東、宮川、先斗町
この4箇所と、上七軒を合わせて、五花街という。
島原を入れて六花街ということもある。
五花街それぞれで「をどり」が開催される。
祇園甲部・都をどり
歌舞練場で一番古いのが、祇園甲部の歌舞練場だ。4か所歌舞練場見て回ったが、祇園甲部の歌舞練場は一番最初にできたとあって、同じ敷地に「弥生会館」のビルや「八坂倶楽部」などの建物があるなど一番規模が大きく広く、人影は少なかったが、ひらけた感じがした。
敷地の入り口が花見小路に面しているせいか、横にJRAがあるからか?
花見小路は、観光スポットで観光客も多く土日となるとJRAに来る人とで、混雑がすごい。すぐ近くに建仁寺がある。
グーグルマップ頼りに、歩いたがこの敷地の裏にでてしまった。人の流れに乗って、JRAの中を通って、花見小路に出ることができた。
歌舞練場は耐震工事のため、ここでは「都をどり」をやっていない。
「春秋座」でやっている。
耐震工事終わり令和5年から歌舞練場で「都をどり」を行ってる。
7年ぶりということ。
歌舞練場の横の建物
↓八坂倶楽部の前から歌舞練場と弥生会館を撮った。
手前にある黄色いオブジェは、草間彌生さんの代表作「黄色いかぼちゃ」。
見物の人がやたらと写真を撮っていた。なんだろうと思っていた。ネットで調べてわかった。
八坂倶楽部
祇園情緒あふれる展示会や発表会などが行われ、日本庭園があるようだ。この日は「草間彌生」さんの展示会行われていた。
弥生会館
祇園コーナーでは、京舞、茶道、華道、箏(こと)、雅楽、狂言など7つの演目が行われている。
入り口も、他の歌舞練場に比べると、派手というか遊園地の入り口のようだ。
祇園甲部歌舞練場は、京都博覧会の時、それに協賛して祇園の芸妓さんらにをどりを躍らせた時のその練習の仮設の練習場が造られたのが始まり。
1973年花見小路道西側にある建仁寺塔頭清住院が歌舞練場とし改造され第2回から使われた。1913年に今の場所に新築移転した。
どの建物も由緒ある貴重な文化財。
都をどり 4月1日から30日にかけて祇園甲部歌舞練場で開催される祇園甲部の舞踊公演。
祇園東・祇園をどり
祇園東には歌舞練場はないようだ。
「をどり」は近くにある「祇園会館」を使うよう。
「祇園会館」には、よしもと祇園花月が入っている。
祇園東部はかつては祇園甲部に含まれていたが、明治になって、分離され「祇園乙部」と言われたこともあるようだ。
祇園東お茶屋組合の前には、祇園甲部の「都をどり」と上七軒の「北野をどり」のポスターが貼ってあった。
祇園をどり 11月1日から10日まで祇園会館で行われ、唯一秋に上演される花街の「をどり」
宮川・京をどり
京都市東山区に位置しており、宮川筋二丁目から六丁目までが花街。
出雲阿国の歌舞伎踊りの時代から始まり、当初は遊女が接待をしたり、若衆歌舞伎の小屋と茶屋が立ち並び10代の少年(陰間)が接待をしていた花街だった[1]。江戸時代頃には売色衆道専業の若衆茶屋(陰間茶屋)も集まった。その後は江戸の3大改革による度重なる風俗取締りで、若衆歌舞伎や陰間茶屋も打撃を受けた。 明治・大正と、1958年(昭和33年)の売春防止法施行までは遊廓であり、今でも遊廓時代の建物が残っている。
↓歌舞練場木戸口。入り口は宮川筋の方にある。
(↑平成30年4月8日撮影)
今は、建て替え工事中。2025年に終わるようだ。
京をどり 4月初旬から下旬にかけて宮川町歌舞練場春秋座(2024年)で上演する。
先斗町・鴨川をどり
先斗町の歌舞練場は、四条河原町から細い先斗町の筋をまっすぐあるて、ほぼ終わりころに「先斗町歌舞練場」がある。
レンガ造りのしっかりした造りだ。
他の歌舞練場は木造だが、ここはレンガ造りになっている。
三条大橋からの「先斗町歌舞練場」
京都市中京区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街。もともとは鴨川の州で、江戸時代初期に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。江戸初期、鴨川の周辺を開発し、そこに茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりで、すでに芸妓、娼妓が居住するようになり何度も取り締れていたが、川端二条にあった『二条新地』(にじょうしんち)の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立をした。
鴨川をどり 5月1日から24日にかけて先斗町歌舞練場で上演され、京の花街の中で最も上演回数が多い。
上七軒・北野をどり
そして、上七軒。