松尾祭 還幸祭(おかえり)後編【京都市下京区】 2026年5月17日sun

 

ずいぶんと時間が空いてしまった。

5月17日の松尾祭還幸祭のつづきを

 

神事が終わり

神輿の担ぐ人のお昼休みも終わって、

朱雀御旅所から松尾大社に向けて長い巡行が始まる。

先ず月読神社から順番に

四之社

衣手社

土煙を上げて神輿が旭ノ社である唐橋西寺公園を出ていく。

三ノ宮社(川勝寺)

川勝って、秦河勝のことだったようだ。

 秦 河勝 / 川勝(はた / はだ[1] の かわかつ)は、6世紀後半(古墳時代)から7世紀前半(飛鳥時代)にかけて活動した日本の人物。山城国葛野郡太秦(現・京都府京都市右京区)を本拠とする秦氏の族長的な人物であり、同地に広隆寺を建立したことで知られる。『日本書紀』に河勝の名前が現れるのは3箇所のみだが、後世聖徳太子との関係が強調され、さらに猿楽の祖としても崇敬されることとなった。冠位は後世の記録では小徳(大花上)とされる。姓は造。(ウィキペディア「秦河勝」より)

秦氏は西は松尾大社から桂川周辺と西は伏見稲荷大社に関係がある。
西の松尾大社の祭は、還幸祭の時、西寺跡の唐橋西寺公園に、
伏見稲荷大社の稲荷祭は還幸祭の時、東寺に立ち寄る。

秦氏は歴史の中で衰えてしまったが、

現在の京都の街の中で今でも引き継がれているように思う。

 

あと、宗像社、櫟谷社、大宮社と旭ノ社を出ていった。

 

   

 

旭ノ社を出た神輿は、

一旦西大路通りに出て、JR を越えて、

若一神社を正面から左手にみながら

八条西大路交差点を右折して、

八条通りをへて、

松尾大社西七条御旅所がある御前通りへ

↓八条通り、遠く信号の手前に見える木は若一神社かな。

御前通に戻り、北上して松尾大社西七条御旅所へ向かう。

御前通りにずっと神輿が続いている。

 

先では、この辺りが氏子町の四之社が神輿を担いで渡御する。

そして、すべての神輿が松尾大社西七条御旅所の前では担がれて通る。

さしあげさしならしをする

そのため、神輿の列は停滞気味。

歩いて、前の神輿を追い越して行く。

 

四之社の神輿。

氏子町でひと担ぎした後、休憩中。

神輿は台車ではなく、ウマにのっている。

まだこれから、松尾大社西七条御旅所まで担ぐのだろう。

ちょっとハードだ。

いくら大人数で担ぐといっても、神輿は重たい。

2トン程度あると聞いたことがある。

たとえ1トンとしても、

自動車1台分ぐらい。

たいへんだ。

これがナリカン

大轅の前後の端にあって、

神輿の担ぎ手の人が、「ホイット、ホイット」の声に合わせて

大轅を上下させて「シャンシャン」という神輿巡行のリズムを奏でる。


   

 




四之社を追い越して、先に松尾大社西七条御旅所前に。

 

松尾大社西七条御旅所にいると、

四之社が動き出した。

神輿は「しゃんしゃん」ならしながら松尾大社西七条御旅所に近づき、

御旅所の前で、

とまらずそのままさしあげさしならし

普通はならしながら来て、いったん止まって

さしあげしてさしならすのだが、

その間合いもなく、連続でしていた。

ちょっと疲れ気味のようで、

多少フラフラしているようでもあった。

危ないと思った瞬間もあった。

御前通りに入ってからほとんど担いで通っているので、

相当疲れているのではないかと思った。

 

松尾大社西七条御旅所を過ぎてもしばらく担ぎ続けた。

もう七条通りの信号が見えてきた。

七条通りの手前では

月読神社の唐櫃が待っていた。

四之社がおいついて、神輿を台車に載せたころを見計らって進み始めた。

 

自分も朝から歩いて、

昼食も摂らず水分も摂らずだった。

カメラのバッテリーも切れて、

スマホを充電しながら還幸祭の一行に続いた。

スマホは充電しながら使っているのと、

日差しの影響で

熱を持ちすぎて、

暑くなりすぎという警告が出て、動かなくなった。

その都度ポケットに入れて冷やして使った。

 

とりあえず今日は、朱雀御旅所まで行ければいいかと思っていた。

そのあと松尾大社まではちょっとムリ。

朱雀御旅所は千本通りを通るJR山陰線の新駅の「梅小路京都西」駅近く。

千本通りを越えると、伏見稲荷大社の氏子町になる。

 

   

 

七条通りに出て

 

松尾大社朱雀御旅所前

七条通りはこの間通行止め。

順番に七条通りを横切り、

朱雀御旅所にはいっていく

朱雀御御旅所はそれほど広くないので、

順番に入っては出ていくのかと思ったが、

一旦すべてが揃うようだ。

まであと三つの神輿が来るはずだが、

ちょっと限界。

もう熱中症かとも思えたので、

リタイア

JRの高架下まで歩いて、

自販機で缶コーヒーを買って一休みした。

朝、モーニングを食べていら飲み物だった。

疲れたのもあるが、このあと行かないといけなところがあったので、

ここで終わり、

JRに乗って帰った。

3年前の松尾祭の還幸祭のつづきを見ることが出来た。

 

2026年5月17日の行程地図