廬山寺 紫式部邸宅趾 【京都市上京区】 20251229

 

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廬山寺があるところは

かつて紫式部の邸宅であったのとこと

同時に

廬山寺は円、密、戒、浄(※)の四宗兼学道場である。

寺のパンフの説明によると

廬山寺は紫式部の家があったところにある。

廬山寺正式には廬山天台講寺。

比叡山第十八世座主元三大師良源(慈恵大師)が船岡山南に開いた興願金剛院を始まりとし。

寛元三年(一二四五)法然上人に帰依した 住心房覚瑜上人が出雲路に開いた廬山寺とが、

南北朝の頃両寺を兼務していた明導照源上人により統合された。

円、密、戒、浄(※)の四宗兼学道場。

応仁の乱・比叡山焼き討ちなどがあった後

天正元年(1573)年に

正親町天皇の勅命でこの地に移ったようだ。

この地の近くに鴨川の堤があったようだ。

当地は紫式部の曽祖父の中納言藤原兼輔(八七七~九三三)から伯父の為頼、父の為時へと伝えられた広い邸宅であった。

それは鴨川の西側の堤防の西に接して営まれていたため「堤邸」と呼ばれ、それに因んで兼輔は、「提中納言」の名で知られていた。

紫式部は百年ほど前に兼輔が建てた「旧い家」で一生の大部分を過ごしたといわれ、この邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ・大弐三位)を育て、源氏物語を執筆した

今では鴨川とこの寺の間は

河原町通りが通るなど建物が立ち並んでいる。

 

   

 

寺の入り口は2ヶ所ある。

廬山寺高麗門

入って元三大師堂がある門

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廬山寺薬医師門

入って広い庭と大玄関に続く門。

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高麗門は、お寺の入り口

薬医門は、紫式部邸宅趾の入り口と言えるかも。

 

拝観ができる。

拝観は大玄関より。

大玄関を入ると

紫式部座像がある。

この像の前には「撮影可」のマークがあった。

建物内で撮影できるのはここまで。

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この像の後ろに拝観口があり、

拝観料500円(だった思う)を払い

建物の源氏の庭に面する部屋像を拝観。

源氏の庭の写真は撮ってもいいとのこと。

広縁から庭に降りる広い階段に腰掛けて

庭を眺めた。

冬の弱い日差しが大きな木の葉の隙間から差してくる。

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橘かな?

たくさん黄色の実をつけていた。
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「紫式部邸宅趾」と書かれた石
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庭の苔
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前庭

ひと通り見て大玄関より外に出た。

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※「円、密、戒、浄」とは

Googleで検索のAIでは

主に天台宗やその流れを汲む仏教で重視される教えの柱(四宗兼学)を指し、「円(法華経の円教)」、「密(密教の加持祈祷)」、「禅(坐禅止観)」、「戒(円頓菩薩戒)」の四つを指し、これらを「浄(清浄な実践・浄土教の念仏)」の思想で統合・実践しようとするもので、伝教大師最澄が体系化し、特に慈覚大師円仁や法然上人の時代に「清浄華院」などで四宗兼学の道場として発展しました。