革嶋館跡
革嶋館跡
GoogleGeminiに聞いてみた。
革嶋氏は、自称源氏の名門・佐竹氏の末裔(清和源氏)
平安〜鎌倉時代にこの地(革嶋荘)の領主であったようで、
公家・近衛家(このえけ/藤原摂関家)に仕える「下司(げし/現地の管理人)」として力をつけていったようだ。
革嶋氏がすごいのは、
革嶋氏が歴史学者にとって「英雄」的な存在である理由は、彼らが鎌倉時代から明治時代に至るまでの膨大な古文書(数千点)を、散逸させずに守り抜いたことです。 『革嶋家文書』(多くは重要文化財などに指定) 中世の京都近郊の村が、どのように運営され、借金を巡って徳政令とどう向き合い、戦乱をどう生き延びたかが詳細に分かる、日本史研究上の第一級史料です。 彼らが「几帳面な実務家」であったことが、この文書群からもうかがえます。
マップにあった革嶋館跡の出土品のポイントはこのあたりだろうか?
個人宅に展示されているようだが・・・。個人宅に入るのは申し訳ないので、どの家かは探さなかった。


革嶋氏の拠点は前回紹介した革嶋春日神社のあたりにあったようだ。
そして革嶋城公園辺りぐらいに城壁を巡らせていたようだ。
城といっても天守閣のあるような城ではなく、防御機能を備えた屋敷のとこと。
革嶋氏は、源氏でありながら藤原氏の近衛家に仕えたころから、藤原氏の氏神の春日明神を勧請した。
革嶋氏は、明智光秀に仕えたようで、本能寺の変のあと武士の地位を失った。
江戸時代には郷士(武士の身分を持ちながら農業を行う村の有力者)して、このあたりの管理する立場に戻ったようだ。
このあたりには、
物集女氏(もずめし)といい革嶋氏といい昔の有力者の跡が残るところだ。
ちなみこのあたりの地名は川島という名がつく。
革嶋氏の「かわしま」に由来するのだろう?
紅谷橋石碑
革嶋館跡と思われるところから少しちっさな流れ沿いに歩くと
京都市のリーフレットの地図に乗っていなかったが、
「紅谷橋石碑 」がGoogleマップにはあった。
たぶん下の写真あたり、

フェンスを通して中を見ると。


山陰街道樫原宿
その後、リーフレットの地図通りに歩いた。
そして樫原(かたぎはら)という地名の交差点手前で、道路の雰囲気が変わった。
昔の街道のような雰囲気がある道だった。
道幅は広くなく両側を歴史ありそうな家が並ぶ。
地図で、調べると山陰街道だった。
ここから少し山陰街道を歩く。
山陰街道は、
古代と近世で山陰街道は違うみたいで、
近世の山陰街道は
京の七口の一つとされる丹波口を起点として、樫原を経由し老の坂を越えて丹波国に入り、亀岡、園部、三和を経て福知山に達し、夜久野を経て但馬国へと繋がっている。 (ウィキペディア「山陰街道」より)
上の説明に「樫原」という名前が出てくる。
おそらく歩いていて、山陰街道に入ったのだろう。
樫原はかしわら・かしはらと読むとおもっていたが、
「かたぎはら」と読むようだ。
山陰街道の「かたぎはら」宿のあたり。
山陰街道樫原宿(かたぎはらしゅく)は、京都市西京区に位置し、山陰道と物集女街道が交差する要衝で、平安京に最も近い宿場町として栄えました。江戸時代は参勤交代の大名が宿泊する本陣(玉村家)や、物資の集積地として賑わい、現在も宿場町の面影や「郷倉(ごうぐら)」、幕末の志士の墓などが残る歴史的な場所です。(Google検索「山陰街道樫原宿」AI回答より)

郷倉
樫原の交差点を渡ると
蔵のような建物があった。
これが「郷倉」だろう。
「郷倉(ごうぐら)」とは、主に江戸時代の農村で、年貢米の一時保管や凶作・飢饉に備えるための共同貯穀倉庫(公共倉庫)で、「郷蔵(ごうぐら)」とも書かれ、庄屋が管理し、明治以降も一部が現存し文化財として残っています。
(Google検索「郷倉」のAIより)


揚げ素戸ばったり床机


樫原は都に一番ちかい宿場として丹波丹後からの物資の集積としてにぎわったようだ。
母屋は道路から1間ほど後退したところにあり、物資置き場や、往来の人々の休憩に使われるの同時に景観を考えて「虫こ窓紅がら格子」の意匠は今も多くのこっているようだ。
こちらの個人宅の「揚げ素戸ばった床机」は多くあったが、今はこの一軒だけだそうだ。
樫原街並み整備協議会の説明を参考にした。

これが「虫こ(籠)窓」かな

これが「紅がら(殻)格子」かな。
紅がら(殻)は赤味があるようだが、これは色あせたのかな?
インドベンガル地方から伝来したため、「紅がら(殻)」と呼ばれているとか?。

山陰道の風景


無人店舗があった。


金木犀
りっぱな金木犀だった。本陣(玉村家)の前あたり。

史跡天皇の杜古墳
国道9号線沿いにある大きな前方後円墳。



古墳の周りは広く芝生が敷かれていた。
走ってみたくなる。
が、やめた。

円墳に上がる階段があった。

円墳の上には大きな木が茂っていた。


方墳の方へ降りていく道。

方墳の方へ降りて、円墳の方を振り返った。

方墳の方に降りてきた。

あと古墳の周りをぐるっと回ってみた。

子供さんを走らせて走っている様子をビデオに収めている家族がいた。
何度もいろいろなバージョンを試していた。
今は、記念写真でなく、記念ビデオなのだ。

もう一つの入り口



古墳の種類 説明

いろいろな古墳のカタチがある。


つづく
地図