史跡天皇の杜公園を後にして
京都市のリーフレットの順路の
次のポイント三ノ宮神社へ向かった。
リーフレットと同じ地図が掲示板に貼られていた
「洛西 竹の小径」
少し距離がある。
三ノ宮神社への途中に
御旅所がある。
これも寄る。
道標『松尾嵐山道』/地蔵尊/常夜燈

御旅所の向かいに道標があった。
道標と御旅所の間の道は山陰街道。
道標の前には大きな木が。
祠の横にある石碑には
左松尾嵐山道と書いてある。

そして、京都でよく見かける「愛宕●」

三ノ宮神社御旅所
三ノ宮神社の御旅所は、
先程の道標の向かいにある。
下の写真の左は道標の祠がある。
道標と御旅所の間を通るのが山陰街道。

御旅所は、駐車場になっているところがあったりする。
使うのは年に一度、祭の時ぐらいだろうか?
ここの御旅所も駐車場になっていた。
車が並ぶ奥に建物があった。


山陰街道
御旅所の前の道路には、バス停があった。
「三ノ宮」というバス停。
こちらには、ちゃんと「ノ」がついていた。

このバス停の行先は、「亀岡駅南口」などと京都市内で歩いて見かけな行き先。

この辺りになると、北からずっと続き嵐山など山が途切れるあたり。
山の南を回り亀岡へ向かうことができる。
御旅所の前を通るのは「山陰街道」のようだ。
前回紹介した「樫原宿」の次の宿は「亀山宿」
亀山宿というが、亀岡市にある。
亀岡市はもともと「亀山」といわれたようだが、
三重県にある「亀山」と分けるために「亀岡」にしたということを聞いたことがある。
嵐山公園には「亀山地区」がある。
樫原(かたぎはら)三ノ宮神社参道
樫原三ノ宮神社の御旅所を出て樫原三ノ宮神社向けて歩いていると、
樫原三ノ宮神社まで少し距離があると思うと所に、
「三宮神社」と書かれた石碑があった。
「ノ」がなかった。
ここからが樫原三ノ宮神社の参道になるのだろうか?


燈籠があった。
神社らしくなったが、
この先も住宅街が続くようだ。

燈籠の前にある案内看板には「ノ」がついてた。

季節外れの「あじさい」?
信号をわたり歩いていると、
アジサイ?が咲いていた。
葉のカタチ、花の様子を見るとアジサイだ。
Googleに聞くと、アジサイと出た。
この時期にアジサイとは

一輪だけ咲いていた。

蔭涼山 洞雲寺
歩いているとお寺があった。

ちょっと寄ってみた。



不思議な空間。
石の庭に、石が一つ少し離れて草そして先には島のような大きな苔むした石があり、その上に松が植えられていた。
禅宗で何か意味があるのだろう?

とても整ったきれいな庭だった。
樫原(かたぎはら)三ノ宮神社

ちゃんと「ノ」があった。

参道と思われる道を歩いて来たが、
その道の突き当りではなく道沿いにあった。
その先は住宅が広がっていた。
でも立派な神社だ。
樫原宿の神社なのだろう。
Googleマップでは「樫原三ノ宮神社」とあった。

本殿は昭和49年の第60回神宮式年遷宮で伊勢神宮がから下賜されたもの。

本殿天井の鬼と源頼光の絵
本殿でお参りしてふと視線を上げると、
鬼の絵があった。
横には頼光とあった。
頼光がお酒に酔った鬼を退治するところだろう。

洛西・大枝山(おおえだやま)入洛しようとする旅人を襲い金品を略奪する鬼がおり、その首領である酒呑童子は人々に恐れられたようだ。
源頼光は、この地の小さな祠に備えてったお酒を飲むとたちまち酔いつぶれてしまった。
このお酒を鬼に飲ませて、酔いつぶれたところを退治したとのこと。
鬼を退治できた「酒の神」、その武徳から「武勇の神」、大枝山から「山の神」三神をまつりその神徳を讃え、この神社が造営されたと伝えられていようだ。
三ノ宮神社由緒書きより。
だから三ノ宮神社なのだろうか?
元はこの神社は柏原神社と呼ばれていたようだ。
創建時期は不明。


拝殿天井の武将の絵
そして前にある拝殿の天井には、
今これから戦うぞとという気迫に満ちた武将が描かれた。
大きな絵があった。
馬に乗った勇壮な武将。
迫力がある。
馬の目も怖い。
これは誰だろう。
源頼光かと思ったが違うと思った。
鬼退治場は馬が出てくる様子はない。
豊剣会の奉納した絵のようだ。
土佐藩藩主山内容堂の孫の子爵山内豊健さんが居合道無双直伝英信流を継承して、
昭和49年に道場を開設した関係の絵なのかもしれない。
山内家の人だろうと思う。
絵はひょっとして山内容堂かもしれない。
山内容堂は江戸時代終わりころで、
このような武将ではなかっただろう。
やはり、山内家といえば、
いや山之内家の祖と言える。
関ケ原の戦いの前に徳川家康に、
秀吉子飼いの中で一番に味方すると申し出て出世した「山内一豊」かもしれない。


御車舎



三ノ宮天満宮


三ノ宮天満宮から本殿の方

史跡樫原廃寺跡
樫原三ノ宮神社の道路隔てて向かいには、
広い空き地で整備された場所があった。

ここは「樫原廃寺跡」の一部。
北の端の回廊跡あたり。
新しく整備されたところだろう。
その手前には、こんな看板があった。
この看板があるあたりは、新たに整備されるまで
ここが「樫原廃寺跡」だと案内する看板だったのだろう。
今は、フェンスの向こうにいってしまった。


いままでズット、このあたりの地名の「樫原」を「かしらは」と呼んでいた。
あまりフリガナを気にしていないなかった。
下の案内の改めて見て、
このあたりの地名の「樫原」を
「かしはら」でなく「かたぎはら」と読むのだと知った。

樫原廃寺跡(かたぎはらはいじあと)は、京都府京都市西京区樫原にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。京都市西南部の長岡丘陵東麓に位置する。7世紀半ば(飛鳥時代後期)に建立され、平安時代中期に廃絶したと考えられる。寺名が判明しなかったため地名をとって名付けられた。現在では、復元された八角塔(基壇)を中心に周辺一帯が史跡公園となっている。(ウィキペディア「樫原廃寺」より)

この方向に廃寺があったのだろう。

この方向に、この廃寺の中心になると思われる。
八角堂跡がある。

先ほど紹介した古い説明版の前のフェンスのに沿って歩いて行くと、
「史跡樫原廃寺跡公園」がある。

広い公園で、住宅が密集する住宅地の真ん中にあって、ゆったりした感じが公園だ。
周りの住民の人はここでのんびり過ごしたりするのだろうか?

八角塔跡

八角塔跡の上からグルット一周

地図
