大原野神社もみじ
神社近くまで来て
今日は人が多い!と思った。

今年6月15日に来た時
まぁ仕方ない、今は七五三のシーズンであり、紅葉のシーズン。
人がいる事が前提で写真を撮った。
人がいなくなるチャンスを狙っている人もいたがなかなか難しそうだった。
人もひとつスペックとしてもいいかなと、
ひとがいるいない関係なく撮った。


この階段を上がって鳥居をくぐろうとしたが、
七五三の家族が写真撮影をして、鳥居の下を占拠していたので、
鳥居の外をとおった。
鳥居の左側を入ればよかったのかもしれない。
立派な望遠カメラを持って撮っていた。
後ろから見ると老年のお母さんの写真を撮っているのかとおもったが、
小さな男の子、三歳かな?
とても楽しそうだった。
よかったね。孫ができれば自分もそうなるのかな・・・?

別にいいけど、
少しはまわりの人のことを考えればいいのかなと。
そんなことはどうでもいい。
大野原神社の紅葉
参道
一の鳥居の方向。
この日はとてもいい天気。
秋の弱い日差しが木々を透けて映える。







本殿の方向

参道を抜けて










鯉沢池
本殿前



テントで七五三の受付をしているようだった。




モミの木神木跡

平成30年9月4日に通過した大型台風21号によって折れた御神木。
樹齢は約500年だったそうだ。
今は、その御神木の一部が残されていて、
人が入ることが出来る。

御神木跡で記念撮影していた。

11月15日は七五三の日なのだろう。
行ったのは11月16日、七五三の日と言ってもいい日。
少し前に行った向日神社も七五三詣でをしている家族が多かった。
子供たちの健康な成長を願って親御さんの篤い気持ちだね。
だいぶん前に中山さんに娘たちの七五三で行った。
秋の弱い日差しが差していた。
なぜGoogleGeminiに聞いてみた。
七五三が11月15日に行われるようになったのには、いくつかの説があります。
主な由来として言われているのは以下の3つです。
1. 徳川将軍家の儀式が由来という説 江戸時代、徳川綱吉(後の第5代将軍)の息子である徳松が病弱だったため、11月15日に健康を祈る「袴着の儀」を行ったところ、その後無事に成長したことにあやかり、この日が七五三の日として広まったという説があります。
2. 陰陽道や縁起の良い日であるという説 旧暦の11月は、陰陽道(おんみょうどう)において「一陽来復(いちようらいふく)」といって、悪いことが続いた後に良いことが巡ってくる縁起の良い月とされていました。 また、15日は「二十七宿の鬼宿日(きしゅくにち)」にあたり、婚礼以外のお祝い事をするのに良いとされる吉日だったため、この特別な月に来る縁起の良い日を選んだという説があります。
3. 収穫への感謝と子供の成長を重ねた説 古来より11月は収穫を終え、実りに感謝する時期でした。特に旧暦の11月15日は満月の日にあたり、豊作を神様に感謝する収穫祭が行われていたため、収穫の感謝とあわせて、子供の健やかな成長を神様に感謝し祈願する日となったという説もあります。
現代では、必ずしも11月15日にこだわる必要はなく、ご家族の都合に合わせて10月や11月の週末などに参拝することが多くなっています。
地図






