2027年半萬燈祭に向けて 北野祭再興 北野天満宮【京都市上京区】 20251005

 

京都の由緒ある祭

京都では年間幾つも祭りが催される。

有名なのが、祇園祭、葵祭、時代祭など。

他にも思い浮かぶ祭は、稲荷祭、松尾祭、今宮祭、上御霊祭、下御霊祭など

京都の祭はまだまだあるが。

上に上げた祭は「京都神社と祭 千年都市における歴史と空間」で紹介された祭だ。

これらの祭はそこそこ氏子さんがいて歴史的にも古くから催されているなどの理由で著者が選んだ祭り。

これらの祭の氏子の地域を京都の街に描くとそれぞれが隣接した感じになっていた。

これらの祭を催す神社は

そこそこ名前が通った神社。

そう

ひとつ名前が思い浮かばない祭があった。

北野天満宮の祭だった。

北野天満宮は祭を催さないのだと思っていたが、

「京都神社と祭 千年都市における歴史と空間」で紹介されていた。

瑞饋(ずいき)祭が紹介されていた。

 

北野天満宮の祭りは?

北野天満宮の祭のことも

「京都神社と祭 千年都市における歴史と空間」で紹介されていた。

「瑞饋(ずいき)祭」のことを紹介したいた。

そして記述はあまり多くなかった。

「瑞饋(ずいき)祭」=北野天満宮の祭?

この本の出版された当時はまだ、北野祭の再興の話がなかったのかもしれない。

今「北野祭」の再興の動きがある。

 

北野祭があるのであれば、今まで聞いたことがなかったので、

是非見に行きたいと思った。

ネット調べたりした。

祭の最終日と思われる10月5日(日)小雨の中行ってみた。

還幸祭は4日に終わっているので、来年の下見がてら。

 

瑞饋(ずいき)祭→北野祭

今年(2025年)祭の名前が本来の名称に戻ったといっていいのだろうか?

昨年までは、「北野祭瑞饋奉饌」

今年は、北野祭

「瑞饋(ずいき)祭」が「北野祭」になった。

祭ののぼりもなんとなく真新しい感じがした。

瑞饋(ずいき)祭には瑞饋(ずいき)神輿が出る。

瑞饋(ずいき)は芋茎のこと、

「瑞饋」の「饋」は神様に食物を供えるという意味を持ち、「ずいき」は里芋の葉柄(芋茎)のことで、神輿の屋根をそれで葺くことが祭りの名前の由来となっています。

 

10月5日は祭の期間だが、境内で片付けが進み、「瑞饋(ずいき)神輿」を見ることはできなかった。

瑞饋の神輿のイメージをchatgptで作ってもらった。

 

   

 

三条通り沿いにある「北野天満宮駐輦(ちゅうれん)所」には

「北野天満宮瑞饋祭駐輦所」とあった。

ネットの記事を見ると

今年から「瑞饋(ずいき)祭」が「北野祭」に変わったことが書かれていた。

そして北野祭に名前が変わった祭の唯一の神輿が「瑞饋(ずいき)神輿」のようだ。

「北野祭」の神輿は再興中で来年に完成するとか。

京都の祭と言えば神輿が、やはり主人公のような気がする。

他の祭を行ったが、神輿の巡行には盛り上がりがある。

ただ、北野祭の唯一の神輿は「瑞饋(ずいき)神輿」。

見逃したので、どんなのかはわからない。

氏子町の家の外に貼られている札には「瑞饋(ずいき)神輿」と書かれたの目についた。

 

今年の北野祭は、神幸祭と還幸祭で鳳輦(ほうれん)などの一行が街の中を巡幸したようだ。

神輿によく似た鳳輦もあるようだが・・・。

「瑞饋(ずいき)神輿」は還幸祭の日に巡行するが、還幸祭の別ルートを通る。

下御霊神社でも、鳳輦と神輿は別のルートを巡行していた。

神幸祭ルート

2025年神幸祭ルート

還幸祭ルート

2025年北野祭還幸祭ルート

瑞饋(ずいき)神輿ルート

2025年北野祭瑞饋(ずいき)神輿ルート

巡行のエリアは、

北は北野天満宮がある今出川通りから

南は三条通りあたりまで、

東は千本通り、西は木辻通りまで。

 

   

 

北野祭再興は菅公没1125年の半満燈祭記念事業

北野祭は、987年に時の一条天皇が北野天満宮に勅使をつかわされ、

祭典を行われたことに起源を発するようだ。

応仁の乱で絶えてしまった。

神輿も焼失してしまった。

そして明治に再興の動きがあり、

収穫祭と合わせた形で「瑞饋(ずいき)祭」となったようだ。

そして令和になって再興が本格的になってきた。

鳳輦(ほうれん)が再興して、今、京都の街を巡行するようになり、

2025年に今まで収穫祭の意味があった「瑞饋(ずいき)祭」が

北野祭になった。

そして、二年後の令和7年(2027年)は

菅原道真公没1125年の半萬燈祭の年、

「菅公御神忌千百二十五年半萬燈祭」が行われる。

この大祭に向けての記念事業の大きな柱として、

長い間失われていた神事の再興の集大成として

かつての勅祭の「北野祭」を再興するとのこと。

 

北野天満宮の氏子さんの長い思いが実り、

「北野祭」が再興される。

長く失われていた「北野祭」の再興するにあたり、当時の資料などをいろいと調べられたようだ。

北野祭の神輿を担ぐには禁裏駕輿丁(きんりのかよちょう)と呼ばれる宮中の担ぎ手(天皇の輿を担ぐ人)だけの特権だったとのこと。

 

半萬燈祭とは

菅原道真公が薨御した年から50年ごとに「大萬燈祭」が行われる。

その半ばの25年目に「半萬燈祭」が繰り返し行われてきた。

令和9年(2027年)が「半萬燈祭」の年に当たる。

神輿が再興する2027年は1125年なので半満燈祭の年。

とても北野祭にとってはいい年になる。

北野祭などのポスターがたくさんあった。

是非とも2027年には、この年には北野祭を見に行きたいものだ。

 

chatgptに当時の装束などを絵にしてもらった。

 

京都の祭の興味を増幅させてもらった本。

この本は京都の祭を見に行く前に読まれると

祭の様子について違った見え方ができるかもしれない。

 

色々調べながら書いたので、いつものことだが変なところがあるかもしれませんが、

ご容赦。

 

   

 

北野天満宮 10月5日小雨交じりの天気の日の様子

何度か北野天満宮に来たことがあるが、こんなに空いているのは初めてだ。

行くのは冬の頃が多かった。受験を控えた人でいっぱいだった。

梅の花の咲く頃、おそらく紅葉の頃もいっぱいだろう。

楼門

花手水


北野祭は10月1~5日までとあったが、おかたずけ中だった。

参道と三光門

少しすると、提灯に灯りが灯った。

こんなに人がすくない北野天満宮を見たことがない。

御本殿

廻廊も片付け中。

 

授与所

いつも人でいっぱいの授与所前もガラガラ。

人形のおみくじがあったので買った。十二支分あったが、丑を買った。

その時に、「北祭祭」のパンフレットをお願いしてもらった。

北野天満宮の牛と自分の干支の丑。

宝みくじ

宝みくじが授与所でなく、授与所とは向かいの回廊の端にあるテーブルに置かれていた。無人だった。

おみくじの中に宝が入っている。

 

紅梅殿

ここもいつもならたくさんの人がいるのだが・・

牛は何頭いた?

空いているので動きやすく、境内に牛の像が何頭あるか回ってみた。

漏らしているのもあるかもしれなが・・・

参道から

1、一の鳥居を過ぎて、

2、二の鳥居を過ぎて

楼門の前あたりに参道の両側に

6、楼門をはいてすぐの左手に

7、手水舎

8、手水舎の横に

9、東門の近くに

地図