元稲荷古墳・勝山公園
【京都向日市散歩】
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向日神社の敷地内にあり、
勝山公園の敷地内にもある。
元稲荷古墳がある。
この古墳の名前は気になる。
何故「元稲荷」なのか?
稲荷神社があったところなのだろう?
「向日市歴史文化サイト」に
前方後円墳の後ろの高い所の頂上に稲荷神社があったと記載されていた。
【史跡乙訓古墳群】元稲荷古墳 - 向日市歴史・文化サイト - 向日市公式ホームページ
下の写真は古墳のほぼ全景を撮ったつもり。
「後円」の高くなっているところ辺りに稲荷神社があったのだろう。


元稲荷古墳は三世紀後半ごろにつくられた最古の大型前方後方境で、桂川流域を束ねた王の墓と考えられています。
この古墳は、京都盆地が一望できる丘陵の先端部に位置します。丘は、王の亡骸を埋葬した後方部と祭りの場や葬列の道として使われた前方部からなります。
後方部は三段に築かれ五〇m四方の正方形に、前方部は二段で側面の形は「ハ」の字形に大きく直線的にひろがります。墳丘全体が小畑川から採取した礫を詰め込み、まるで石の山のように築かれています。
亡き王の政治経済的な実力を示す墳丘の規模は長さが九四mであり、同じ頃につくられた神戸市求女塚古墳と双子のように形と大きさを同じくしています。(上記案内看板から抜粋)

「後円」の上には今は円形のコンクリートの壁で囲まれた建物があった。
中に入ることが出来なくっている。


この辺りに稲荷神社があったのかもしれない。
しかし、この建物は何だったのだろうか?
古墳の調査でもしているのだろうか?

「前方」は「後円」より低い。
「前方」から「後円」にはこの階段をあがった。

「前方」部分は、平坦で広い空き地になっていた。

この辺り丘陵地帯にあり、家がなければ眺めも悪くないと思う。

この「前方」部分も高くなっている。
下の写真の階段を上がった。

勝山公園


背中の方にブランコなど他の遊具もあった。
誰もいなかった。
そして、向日神社からの入り口とは反対に住宅地側からの入り口もあった。


入り口の横には真新しいトイレがあった。
再び、向日神社側の入り口から出た。
出たところには、「勝山緑地」の石碑があった。
昔からこの辺りは緑地帯だったのだろう。

この辺りは春は花見、秋はドングリ拾いができるとあった。
桜ミュージアム・桜の園
向日神社の鳥居をくぐり向日神社をでると、両側に緑が続く道に出た。


向日市は長岡京の中心『長岡官』があるなど、古代から現代に至る歴史が積み重なった町で、その場所ごとに桜をめぐる物語があります。
一九三四年から一九六一年の二十七年間、向日神社の北に日本一と称された笹部新太郎さんの桜の苗園「桜の園」がありました。(上記写真案内文より抜粋)

この道沿いには、たくさんの種類の桜植えられているようだ。
下の写真の見える案内はすべて桜の説明だった。
最初は桜の語源から桜についての説明、植えられている桜の説明があった。


桜の語源
■さまさまな説がありますが大きくは三つに分けられます。
一つは「咲く」に複数を表す「ら」を付けたもの。桜の花は群がって咲きます。もう一つは富士山頂から、桜の種をまいて花を咲かせたとされる、「コノハナサクヤヒメ」の「さくや」をとって「さくら」になったという説です。
■三つ目は弥生時代に水田稲作とともに始まった農制儀礼によるものです。「さ」は稲の神様を表し「くら」は依代を表します。稲の神様は春山からやってきて桜の木に宿ります。そのため人々は桜に酒や肴を供え稲の神様を迎えました。これが花見の始まりという説があります。
■「田打ち桜種まき桜苗代桜」などの言葉があるように袋は農作業の目安となり、咲くようすや散るようすで稲の寒りを占いました。桜は北半現に広く分布しますが、生活とともにあったことから日本を代表する木になり花になりました。
下の写真はごく一部、何種類もこのような説明が、それぞれの桜の木の前にあった。


この札は、向日神社の参道でもあった。


一旦ここで住宅街に入るので途切れる。

ポイントことに説明看板がある。

住宅街が途切れて、五塚原古墳がある高台に上がる坂道に入ると再び始まる。



ここで終わり。
この道はずっと坂。
坂を上がり切る手前で終わる。
これらの企画をしているのは、
鎮守の森の会が整備などを行っているようだ。
chatgptで調べてみると
・ 2005年(平成17年)あたりから、桜苗圃の復元に取り組んでおり、現地には自生していた山桜80本、植栽した20種80本の桜が育成されているという報告があります。
・ 案内板・樹名札・パンフレットなどを設置し、見学者の増加を見据えた広報活動を行っています。
・植樹地の斜面緑地では、耐久性のあるヒノキ材を使って土留めを整備するなど、植樹環境を整えるための土木的な支援活動も。
とてもありがたい活動。
来年の桜の頃には、ぜひ訪れてみたい。
上がった先の住宅地。
ここは眺めがとても良い。


地図