玉造稲荷神社
玉造通りから歩いて行くと、
大きな神社の石碑が細い階段の横にあった。


夏祭
上がると神社の本殿の横の広場に出た。
電球をぶら下げると思われる電線が
広場いっぱいに張られていた。

祭は7月15日と16日にある。
いろいろなイベントが予定されている。


豊臣秀頼像
細い階段を上がったすぐ横には、
豊臣秀頼の像があった。

横には説明書き

徳川家康が豊臣家を滅ぼそうと思ったのは、
家康が秀頼とあった時に
秀頼が身長も高く威風堂々としておりさら賢く、とても人の下に服するような人物に見えなかった。
家康は秀頼を見て徳川家の将来を不安視したからのようだ。
この話は、聞いたことがある。
家康の跡継ぎの秀忠はどちらかというと凡庸だったという話をきいたことがある。
それに対して、秀頼はしっかりしているという印象があったのだろう。
秀頼を残しておくと、いずれ家康の後を継いだ征夷大将軍の秀忠は追いやられるのではないかという危機感があったのではないかと思う。
でも、像の表情は、しもぶくれの凡庸な感じだ。

秀頼公奉納の鳥居
秀頼の像から少し進むと、秀頼公奉納の鳥居があった。

大阪夏の陣や第二次世界大戦を乗り越えてきた大鳥居が阪神大震災で基礎が損傷してしまったようだ。

鳥居の後ろには、なぜか隠れるように毛利家の石碑があった。

梅薬師道祖伸
毛利家の石碑と向かい合うように、あったのが梅薬師道祖伸。


千利休居士顕彰碑
その横には、千利休居士顕彰碑

難波・玉造資料館
秀頼の像の後ろにあった建物は、難波・玉造資料館。


予約すれば中をみることができそうだ。
観覧料が100円は安いと思う。

伊勢参宮街道の旅碑・伊勢迄歩講起点石碑
広場を横切って社務所に向かった。
社務所の向かいにある木の前には、
伊勢参宮街道の旅碑・伊勢迄歩講起点石碑があった。

伊勢参宮の起点をここにしているようだ。

この神社は色々と詳しく説明する案内があってとても興味が惹かれる。
思わず長居してしまった。
本殿拝殿の前には、利休の井があった。
利休井


本殿
本殿にお参りした。

この神社の参道の正面はこちらだろう。


玉作岡の碑
玉作岡の碑があった。
「たまつくり」は玉造でも玉作でもどちらでもいい。

この石碑の裏には、
難波の高台の内に位する玉造稲荷神社の所在地は、古代には玉作岡とて玉作部に所属する曲玉作りの集団居住地であった。故に大阪においてもっとも古く由緒あるところというべきである。
この高台に仁徳天皇は高津宮を営みわが国最初の都城をつくられたが孝徳天皇の長柄豊崎宮、天武天皇から聖武天皇にいたる難波宮がこれに続き、今なおその遺跡は厳然として残っている。
そのゆかりの地に今大島清大阪市長の題字を得てこの陣を建立するのは、まことに意義深いことである。
昭和四十九年七月十三日 牧村史陽識

大阪の上町台地も史蹟の宝庫
この近くには、難波宮がある。
何年か前によく行ったが、
Googleマップでみると、
今はずいぶんと変わったような感じがする。
大阪の上町台地あたりは、歴史的にも興味深い。
大化の改新(乙己の変)
織田信長に逆らった本願寺
大阪の陣など時代
などなどいろいろ
興味がそそられる。
地図