- 四条通東の端
- 四条通西の端
- 西の端松尾大社から東の端八坂神社まで
- 罧原堤四条(ふしはらつつみしじょう)
- 梅宮大社
- 天神川四条
- 踏切のある四条通り・四条西院
- 壬生川通り四条
- 四条大宮
- 四条烏丸
- 四条河原町付近
- Otabi Kyoto(祇園祭の時の御旅所)
- 四条河原町
- 四条大橋
- おわりに
京都の四条通の東西の両端は、有名・由緒ある神社。
両神社ともに神社社格である二十二社の一つ。
二十二社とは
二十二社(にじゅうにしゃ)は、神社の社格の一つ。国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた。平安時代後期、後朱雀天皇治世の長暦3年(1039年)に22社目の日吉社が加わり、白河天皇治世の永保元年(1081年)に制度としての二十二社が確立したとされる。主に畿内の神社から選ばれた。戦後に社格制度が廃止されたため、現代では存在しない。(ウィキペディア「二十二社」より)
東の端は、
八坂神社、 二十二社 下八社の一つ
西の端は
松尾大社 二十二社 上七社の一つ
上七社には、伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂(上賀茂神社・下鴨神社 2社でひとつ「賀茂」)・平野神社・伏見稲荷大社・奈良の春日大社がある。
これらの神社に平安遷都前にいた有力氏族、秦氏や賀茂氏の神社がある。
この両社は、祭がとてもいい。
八坂神社は京都の夏の風物詩で有名な「祇園祭」。
この祭は全国区の知名度が高い。
7月は京都の下京あたりの山鉾町は、祭り一色になる。
祇園祭 カテゴリーの記事一覧 - 散歩と写真(京都・大阪ほか) Walker'SceneryPhotos in Kyoto and Osaka etc
松尾大社の祭もいい。
4月に神幸祭・5月に還幸祭が行われる。
神輿が6基出て、迫力のある祭だ。
担がれた6基の神輿が松尾大社の拝殿の周りを3周して、街中を巡行して、桂離宮の近くで船渡御する。
祭の範囲は千本通り辺りまで、そして西寺跡の唐崎西寺公園に神輿6基と唐櫃1基が集まり、松尾大社まで巡行する。
春にある京都の祭の中では、松尾祭は、大きな規模で行われる祭だと思う。
四条通東の端
四条通東の端は八坂神社。
四条通りは南北を通る東大路通りとT 字道になっている。
八坂神社の西楼門から見る四条通がわりと気に入っている。
2024年12月29日撮影
西楼門から見える四条通りズームで
平だと思っていた四条通、意外とアップダウンがあるように見える。
この先に鴨川を渡る四条大橋、河原町四条がある。
四条通西の端
西の端は、松尾大社。
読み方は「まつおたいしゃ」ではなく「まつのおたいしゃ」
最寄り駅の阪急電車の駅名「松尾大社」で読み方は「まつおたいしゃ」。
阪急電車「松尾大社」駅を出るとすぐ目の前に松尾大社の大きな鳥居がある。
ここが四条通の西の端。道はずっと松尾大社の前まで続くが。
この辺りが西の端でいいのかと思う。
2024年11月17日撮影
振り向くと、阪急電車の踏切を越えて、桂川の土手の道の先は松尾橋。
2023年2月5日撮影
2024年11月17日撮影
西の端松尾大社から東の端八坂神社まで
西の端から桂川を渡る「松尾橋」
松尾大社付近案内地図
松尾橋から、意外と交通量が多い。
嵐山からのバスが松尾橋に向かって曲がってくる。
2024年11月17日撮影
松尾橋から桂川。
普段は桂川の流れは下の写真のような感じで、川べりには河川公園のようになっている。これが、上流の嵐山まで続く。
橋を渡ると
罧原堤四条(ふしはらつつみしじょう)
読みにくい字の交差点。
片側一車線の道が続く。
このあたりは、交通量も少ない。
梅宮大社
この道歩くと、梅の名所で有名な、「梅宮大社」の交差点がある。
ここを曲がると、梅宮大社がある。
2024年11月17日撮影
天神川四条
しばらく東へ進むと四条通は天神川と交差する。
天神川沿いを歩いて、四条通り手前。
交通表示をみると右(西)は「松尾」左(東)は「祇園」となっていた。
「祇園」は、八坂神社の前の交差点の名前。
2024年11月17日撮影
天神川四条交差点
天神川四条交差点から東に歩くと、四条通りは葛野大路と交差する。
葛野大路通りの交差点では、四条通りはこんなに広くなる。
葛野大路を過ぎて、しばらく歩いた。
どこにもあるような、街の景色になる。
頑張って歩いて、西院。
ここで言う西院は西大路通りと四条通りが交差するあたり。
阪急「西院(さいいん)」駅と嵐電の「西(さい)」駅がある。
踏切のある四条通り・四条西院
嵐電「西院(さい)」駅の手前で、嵐電は四条通を横断する。
この踏切には踏切棒のようなものはなさそうだ。おそらく信号がその役割を果たしているのだろうか?
踏切があるといえば、松尾大社の前にも阪急嵐山線の踏切がある。
四条西院
2023年2月26日撮影
壬生川通り四条
四条通りは西院から四条通りをJRの高架を過ぎると壬生川通りと交差する。
その壬生川通四条より一本西院より「坊城通り」と四条通りの南西角に
「椥(なぎ)神社」がある。
「元祇園」と呼ばれる神社だ。
「坊城通り」を南に歩くと新選組ゆかりの「壬生寺」がある。
四条大宮
椥神社から、四条通を東にしばらく歩くと、四条大宮。
2022年11月12日撮影
四条大宮の交差点から、京都にしては珍しく北西方向に斜めに通る通りがある。
「後院通り」という名前だ。
明治時代に京都市三大事業の一環として路面電車敷設と同時に街路建設を行う際、四条大宮以南の大宮通りを拡張、その連絡道路として斜めに道路を建設、1912年(明治45年)6月11日、京都市電気軌道事務所(後の京都市交通局)発足及び千本線、大宮線を開通させ運行を開始した。1928年(昭和3年)の京都市告示第252号による路線名改称時までは車庫前通と呼ばれていたが、これ以降に後院通となった。(ウィキペディア「後院通り」より)
他の通りと違い、明治時代にできた通り。
京都の街を斜めに走り、千本通りに接続する。
おそらく、千本四条あたりの道はJRが通っていたから市電は敷設できなかったのだろう。
この「後院通り」沿いには千本通り方面のバス停が並んでいる
南からの大宮通りは、四条大宮すぎると。
下の写真のように細い路地のようになるが、この先は、また、広い通りになるのだが。
2017年7月29日
西院駅から四条通りの下は、阪急京都線が走っている。
この地下化工事の影響で、祇園祭が中止になったほどの大きな工事だった。
嵐電の大宮駅は嵐電の始発駅。かつて駅名は「京都」駅だった。
四条烏丸
阪急電車京都線で、大宮駅の駅は「烏丸」駅。
かつては、「大宮」駅も特急の停車駅だった。
今は、阪急電車京都線の特急の停車駅は、桂駅の次は烏丸駅になった。
四条大宮から四条烏丸までは、四条通を歩いたことはない。
四条烏丸交差点周辺は、祇園祭の山鉾が立ち並ぶ、祇園祭の中心のようなところ。
祇園祭の宵宮や宵々宮の頃は、四条烏丸交差点の東西南北通りは、夕方に歩行者天国になる。
人出あふれかえる。
四条通には、山鉾が建ち
南北の烏丸通りは、通りの両側に出店が並ぶ。
2023年7月16日
平日の四条烏丸は、東西南北と交通量が多い。
烏丸通りは京都の南北の通りの中でも商業・観光と中心的な位置にあるように思う。
烏丸通りの下には京都地下鉄が通っている。
四条烏丸交差点の地下には、東西に阪急、南北に地下鉄が通っている。
大きな通りは、鴨川からは、
河原町通り、烏丸通り、堀川通りとある。
千本通り・JRの高架(このあたりでは、千本通りとJR高架は同じところ通っている)を過ぎると、右京になる。
葛野大路通りや西大路通りなどがある。
四条河原町付近
四条烏丸から河原町の間は、車道が片側一車線になり、歩道が少し広めになる。
通りの両側の歩道の上には庇が出ている。
Otabi Kyoto(祇園祭の時の御旅所)
四条河原町交差点の手前あたりの寺町京極商店街を出た向あたりにある。
普段はお土産物屋
2022年7月10日撮影
祇園祭前祭の後から後祭の間は、
ここに八坂神社から担がれてきた 素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神の神輿が留まる。
2023年7月19日撮影
四条河原町
2022年7月10日撮影
2024年12月3日撮影
八坂神社の方向、南座と前は四条大橋。
四条大橋
2022年7月31日撮影
四条大橋から鴨川。
四条大橋を渡ると、八坂神社の西楼門が見えてくる。
2023年8月27日撮影
そして、四条通りの東の端
八坂神社
2022年7月10日撮影。
おわりに
2020年の頃の錦市場の様子。
最近錦市場には行っていないが、外出自粛のコロナ禍のころでも、錦市場は人が多かった。