2024年12月29日、昨年と同じように、年明けの干支の大絵馬を探して歩いた。
途中、大絵馬のない神社などもお参りした。
前の記事でも書いたようにこの日10社お参りした。
前回岡崎公園まで紹介した。今回はその続きから。
岡崎神社
この神社は「うさぎ」がいっぱいの神社だというのはよく知られていると思う。
狛犬もうさぎ、手水舎にうさぎ、舞殿にも小さなうさぎがいっぱいだった。
狛うさぎ
子授けうさぎ
正月の大絵馬があるかと思って行ったが。
なかった。
正月用ではないが、大絵馬はあった。
帰ろうと鳥居の方を見ると
鳥居越しに華頂山の頂上にある将軍塚の青龍殿の建物のシルエットが見えた。
菅原院天満宮
菅原道真が産湯をつかったという井戸がある神社。
護王神社
京都御苑
梨木神社
「染井の水」で有名。水を汲みに来る人が絶えない。この日も水を汲みに来ている人を見かけた。
下鴨神社・糺の森
鳥居を過ぎてすぐにあった空き地に、朱色の柵の設置作業が行われていた。
横に駒札があった。何が書いてあるか写真を撮ってみた。
天神宮社を組み立てているようだ。
もともこの場所に天神宮社があったとのこと。
駒札には以下のことが書かれていた。
この地には、通称、天満宮と呼ばれるお宮さんがありました。下鴨村の人々は「天神社」や「天神さん」と呼んでいました。明治時代初頭まで、この参道脇には、下鴨神社の学問所の先生たちが住んでいました。この場所には、講釈師の源流となる神道講談の玉田永教(一七五六ー一八三六)のお屋敷がありました。永教は、庶民に講談という形で、神道や神話について、全国を説いて回りました。元々は、大阪の露天神近くに住んでいたことから、邸内社として天満宮を祀ったと伝わっています。しかし、明治初年からの明治新政府による様々な神祇制度改革の影響で、永教の孫である三矢田清三郎(弘文)は大阪に戻り、講釈師玉田派を創設し玉田玉枝斎として上方議釈の礎を築きました。天満宮は、その後、天神宮と合祀され、下鴨神社の旧社家たちは、「天神宮社」称し、「天照大御神」と「天満宮」ををお祀りしていました。なかでも、比良木社のお火たきには、学問所の秀穂舎の子供たちが日頃勉学した習字を献書し、今日まで続いています。今和十八年度に斎行される第三十五回式年遷宮事業の一つとして「天神宮社」がご再興されます。
年末だというのにまだ紅葉が残っていた。
出店も並び始めていた。
動画
この日の経路