松尾祭 還幸祭(おかえり) 神輿六台と唐櫃が旭ノ社に集合・松尾大社に向けて出発・空也上人の旅姿の金具を探して。 20230514

動画・松尾祭還幸祭(おかえり)

旭ノ社~松尾大社西七条御旅所

 

旅姿の空也上人の金具を探して、3度目の正直

松尾大社には、数年前に行ったことがあった。その時は、再び訪れることがあるだろうか?と思い松尾大社を後にした。

しかし、「京都異界紀行」と言う本を読んで、松尾大社と空也上人とは関係があることを読んで知った。

空也上人との関係を示すもには、松尾大社にはないそうだ。ただ、空也上人と松尾大社の関係を示す証拠として衣手神社の神輿の台座に「空也上人」の旅姿の金具があると書いてあった。

空也上人といえば、東山の六波羅蜜寺の空也上人像は有名だ。その空也上人と松尾大社と関わりがあると言うのは、興味深くいものがあった。

衣手神社の「衣」こそが、松尾の神と空也上人を結び付けている。『発心集』(第七「二 同上人、衣を脱ぎ、松尾大明神に奉る事」)には以下のような話が描かれる。(「京都異界紀行」より)

金具がどのようなものなのか興味を持った。
見ることができるのは、松尾祭の時だけ。
今でもあるのか是非とも見たかった。

神幸祭で松尾大社、郡の御旅所の衣手神社にもいったが、見つけることができなかった。
松尾祭の神輿が勢揃いする神幸祭でも、準備に忙しい神輿に近寄ることもできず、6台の神輿のどれが衣手神社の神輿かわからず。

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神幸祭あと郡の御旅所では神輿庫に入っていた。

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空也上人の旅姿の金具を確認することができなかった。

還幸祭、旭ノ社に全の神輿が集まる時が、確認する最後のチャンスだった。
神輿が集まる旭ノ社へ行った。

11時過ぎぐらい、JR西大路駅を出て、旭ノ社へ向かおうとすると、
駅の横を通る西大路通りから

「あらうんとまかせ、あ~らよいよい」と松尾祭ではよく聞いた掛け声が聞こえてきた。

JRの下をくぐるアンダーパスから旭ノ社へ向かう神輿が出てきた。

松尾大社西七条御旅所からの「宗像社」と「櫟谷社」の神輿。

旭ノ社へ向かう神輿の列が見えた。

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その神輿の列について、旭ノ社へ向かった。

神輿と唐櫃が勢揃いした旭ノ社。

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神輿を担ぐ人は昼休み

それぞれの御旅所から神輿を担いてきた人たちは、ここで、松尾大社へ向けて、神輿運ぶために腹ごしらえ。

小雨が時々降る天気。旭ノ社いや西寺跡公園の小高い丘の木の下やテントの下で腹ごしらえをしていた。

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空也上人の旅姿

周りに作業する人も誰もいない、時々、写真を撮りに近寄ってくる人がいるくらいだった。
近寄っても誰の邪魔にもならない。庫に入っているわけでもない。

ただ、昨日の雨と小雨が時々降る天気で、ぬかるんでだ地面。なんとか行けるところに衣手神社の神輿があった。

神輿のところへ、まず、一番近づきやすい、神輿の担ぎ棒の先端を覗きこんだ。

なんと、ここにあった。
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金具の少し向こうにある金具が神輿の担ぎ棒を上下に振ると「シャン」と音がする。神輿が「シャンシャン」と音がするのはこれだろう。

ひとつ目的果たせた。

   

 

松尾祭還幸祭(おかえり)

神輿を担ぐ人たちが腹ごしらえをしている間に、神事が始まった。

反対かな、神事の間、神輿を担ぐ人たちは腹ごしらえ。
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四半時ほどって。
いよいよ神輿が、松尾大社へ向けて出発。
向かって一番右の「四之社」の神輿に人が集まってきた。

旭ノ社での神輿の並びは

右から「月読社(唐櫃)」「四之社」「衣手社(郡」」「三宮社(川勝寺三宮社)」「大宮社」「宗像社」「櫟谷(いちたに)社

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神輿が出る順番は、

「月読社」「四之社」「衣手社」「三宮社」「宗像社」「櫟谷社」「大宮社」だった。

月読社

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四之社

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衣手社

まっすぐやってきて、すっごく近くまでやってきた。担ぐ人には方向はわからないから操縦する人が神輿の担ぎ棒を押して、方向を出口に向けた。ほっておいたら、自分のところまで来そうな勢いだった。空也上人が「行くよ!」と声をかけに来てくれたのかな?
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三社出た後。

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「三宮社」

三宮社だが旗は「川勝寺(せんしょうじ)」
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「宗像社」

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五社出た後

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「櫟谷社」

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進んできて、神輿を高く持ち上げた。
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最後に「大宮社」が残った。

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「大宮社」

「大宮社」神幸祭の時も、最後だった。
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全ての神輿が言った後

「旭の社」から「唐橋西寺公園」に戻った瞬間
人がいっぱいだった旭ノ社=唐橋西寺公園(西寺跡)もひっそり。
あとは片付けの人が数人残っているだけになった。
↓このあたりに神輿が並んでいた。f:id:m3785com:20230516100324j:image
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神輿を担ぐ人が休憩した丘もひっそり。
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地図・旭ノ社実は「西寺跡(唐橋西寺公園」

 

 

 

ついつい写真や、余計なことが多くなってしまったかもしれない。

まだ、撮った写真の続きがあるので、次回に。

動画も摂っているので、完成し次第、このページで公開します。