- 白峯神宮
- 「精大明神」 スポーツの神様と言われる蹴鞠の神様
- 伴諸社(とものをしゃ)もうひとつのスポーツの神様の社
- 潜龍社(せんりゅうしゃ) 寿福長命の神 笑い龍さんは心の常備薬
- 本殿
- 社務所の前には各種球技のボールが置かれていた。
白峯神宮
白峯神宮はには皇室・朝廷に恐れられた菅原道真と並ぶ日本三大怨霊のひとりとされる崇徳院を讃岐より帰京頂き、祀られている。
明治天皇が父の孝明天皇の意思を継いで、崇徳院の霊を讃岐の白峯陵より勧請して建立した。
このことは、孝明天皇だけでなく先祖代々皇室の願いだったかもしれない。
崇徳院は、平治の乱で後白河法皇側に負け、讃岐に流された。讃岐で京に戻ることを願い遣いをだすが、振り向かれず。ついには、怨霊のような様相になり、呪いの言葉を残してなくった。その後、天皇家や朝廷・京の町には、災害や不幸が続いた。以来、天皇家には、崇徳院は、恐れられた。
南北朝の争いも、戊辰戦争もみな崇徳院の怨霊のせいとい噂がながれたこともあるようだ。
そして、約700年経った明治維新に、京に帰ることがかなった。
神宮の今出川通り沿いのバス停の後ろ辺りに、神宮の説明の看板があった。ここでは、崇徳院が主役だ。
「瀬をはやみ 岩にせかるる、瀧川の われても末に 逢わむとぞ思ふ」
百人一首にある崇徳院の一首が看板に書かれている。
たとえ岩に阻まれて別れ落ちる滝水もいずれは又元に戻るという恋のたとえ、あるいは自分の身上を詠ったものとも考えられる。
崇徳院と一緒に主祭神として祀られているのは、淳仁天皇。
淳仁天皇は、藤原仲麻呂の推挙で立太子され、天皇になった。このころ、藤原仲麻呂は、聖武天皇の皇后の光明皇后の後ろ盾で昇進し、朝廷でも実力者になっていた。
しかし、光明皇后が亡くなると後ろ盾を無くし、そして、仲麻呂の乱を起こす。仲麻呂の乱が失敗に終わり淳仁天皇は後ろ盾をなくした。
孝謙上皇は聖武天皇の娘で、天武系天皇の本流と自認し、舎人親王の系譜の淳仁天皇を傍系とみなし、蔑んでいたようだ。それもあって、淳仁天皇は、以前から孝謙天皇とは仲が悪かった。藤原仲麻呂の失脚後、天皇を廃されて淡路に流された。
天皇を廃され淡路に流された天皇。
しかし、崇徳天皇のように、怨霊とはならなかった。
怨霊となった最初は、桓武天皇の弟、早良親王。それまでは、政争に負けその恨みを死後にたたるという考えがなかったのかもしれない。
淳仁天皇は脱走したが、つかまりその後亡くった。暗殺されたともいわれている。
流され京に帰ることがかなわず亡くなった天皇二人が主祭神として祀られている神社。
ちょっと怖い感じがするが・・・・、
拝殿の前には、京都御所の紫宸殿の前の南庭にもある右近の橘・左近の桜があった。
これは、崇徳天皇と淳仁天皇への配慮だろうか?
右近乃橘
左近の桜「撫子桜」
しかし、この神社は、主祭神の経緯にかかわらず、スポーツの神様として、多くの人が参拝している。
なぜか不思議な感じがする。
そのようにしたのは
「精大明神」 スポーツの神様と言われる蹴鞠の神様
ボールがいっぱい、奉納されていた。さすか蹴鞠の名人の神社。
蹴鞠=サッカー。バスケットボールもある。
精大明神の横には、蹴鞠の碑がある。
右肩にある丸いのは回せるようだ。
飛鳥井氏は蹴鞠の名人の家。もともとこの白峯神宮の場所にあった。
滋野井の井桁
飛鳥井家と精大明神との関係は。
白峯神宮を出て、左手すぐの信号を渡り小川通りをずっと南に進んで、途中西洞院通りに入って、黄色い建物に突き当たり、少し曲がってさらに下ると「滋野井の井桁」がある。
ここは、平安初期の公卿滋野貞主(しげのただぬし)の邸宅跡。敷地内の清泉は都七名水のひとつとして知られ「滋野井」と呼ばれた。
その後この邸宅は「蹴聖」と称された蹴鞠の達人大納言藤原成道(飛鳥井家の祖)のものとなった。成道が蹴鞠の上達を願って千日間の練習を誓うと、その満願の日に鞠の精が三匹の人面猿身の姿となって現れ、蹴鞠をの法を伝授したと成道卿口伝記に記されているようだ。
後に後鳥羽上皇がこの鞠の精を「精大明神」として祀り、滋野井のほとりに祠を造ったといわれている。
その後どいう経緯で、白峯神社あたりに飛鳥井家が移転したかはわからない。
ちなみに後ろに見える黄色い建物は、元滋野中学校。
京都は小学校の建物を再利用して使っているところが多い。
麩嘉(ふうか)京都の名水でつくる「麩」のお店。
滋野井の井桁から少し南に歩くと、「麩嘉」と言うお麩の店がある。大きなのれんのかかった京風の建物。ここが本店。
「ちょこっと京都に住んでみた」と言うドラマで紹介された。主人の木村文乃さんが美味しい水をこの店に汲みに来て、その後、生麩の「麩まんじゅう」を食べていた。
お麩つくりにはいい水が必要。近くに都七水のひとつの滋野井の井があるほど、このあたりは、水が良いようだ。
京都は、内陸にあるが、水が美味しいところ。京都盆地の地下には、琵琶湖の水量に匹敵するほどの地下水があるとも。京都の北には深い山があり、そこに降った雨が京都盆地の地下をながれているのだろう。水の都といえば「大阪」ともいわれることがあるが、京都は美味しい水の都ともいえると思っている。
テレビで放映されたこともあってたくさんの人が来ているかと思ったが、意外に人がいなかった。
↓この店の左手の方に水をくませてもらえるところがあるようだ。ここで汲んだ水は料理やコーヒー・お茶に使ったりもするようだ。
どうしたか?試しにのれんをくぐった。
雰囲気のいい店内。だけど、店に入っても誰も出てこない。商品を飾っているショーケースもない。
何度か、「すいません」と言ったが、反応なし。
奥は、作業場のようで、中では、白い服を着た人が行き来していた。まんじゅうなどを作っているようだった。
扉を何度か叩いたが、誰も反応しない。何度か扉をたたいて、ようやく気付いてもらった。
忙しいとろをじゃましてしまったかもしれない。
めったに人が訪れてくることはないのだろうか。
それにしても、店先は、入ってもいいよと言っているようにのれんの中の戸は開きっぱなし。
出てきてくれた人に、麩まんじゅう買えますかと聞いた。
ここに在庫があれば大丈夫ですと言う返事。
数を言うと、中に戻って在庫を見に行ってくれた。
忙しいなか、対応はとても丁寧だった。
ここは本店だが、小売りはしていないようで、買うなら予約が必要なようだ。
販売は錦市場の店でしている。
在庫はあった。
もう一つお願いした。
ここで一つ食べることができるかと聞いた。
木村文乃さんが食べたように、ここで食べてみたかったので、ここで食べていいかと聞いた。
ふつうに「いいですよ」という返事だった。
じゃぁということで、ひとつお願いした。
お盆の乗せて、お茶もつけてくれて出してくれた。
テレビ以外でも、もここで食べる人がいるのだろう。
出てきて、一見、柏餅に似ていた。
葉を除くと、
見た目はふつうのまんじゅう。
しかし、生麩。
麩といえば、乾いた水分のない食材として使われるものという認識があった。
生麩となると、まったく別物のように、味も無味ではなく、少し甘味もあり、田楽した生麩を料理を居酒屋でも食べてことがある。
それ以来、生麩が気に入った。
麩まんじゅうも食べると、ふつうのまんじゅうとは違い、しっとり感があり、
お餅とは違い、伸びはなかったが、しっかりした食感があった。
中には餡子がはいっていた。生麩の味とちょうどいいバランス。
写真を撮る間もなく食べきってしまった。
お盆を返して、店を出るとき、奥から大きな声で「ありがとうございました」と聞こえてきた。
出るときもとても気分が良かった。
伴諸社(とものをしゃ)もうひとつのスポーツの神様の社
白峯神宮に戻って。
境内には、精大明神以外にも摂社があった。
崇徳院と同じころに、平治の乱で、崇徳院に味方した源為義(源氏の棟梁・源頼朝や義経の祖父)と為朝親子が祀られている。この社も白峯神宮がスポーツの神社と言われる別の顔。
この両名は、弓の名手だった。
弓のようなものが供えられていた。
潜龍社(せんりゅうしゃ) 寿福長命の神 笑い龍さんは心の常備薬
笑う潜龍さんは心の常備薬。「笑い龍」は「笑いは、心の常備薬」を表現した石像
昭和30年11月23日の御火焚祭斎行中火炎の中より出現された龍神様を、潜龍大神(水神)としてお祀りするた為、御宮が創建されました。
潜龍井に鎮まり坐す潜龍大神は、家系にまつわる諸々の悪縁を水に流し「良縁」と成し、病気平癒、事業隆昌など寿福長命に霊験あらたかな神として篤く崇敬されています。
本殿
白峯神宮の本殿には、拝む際に引っ張って鳴らす鈴はない。その代わり俵のような金色の鈴を手でもって鳴らす。
手水舎
社務所の前には各種球技のボールが置かれていた。