赤山禅院
天台宗の寺院。延暦寺の別院の一つ。山号はなし。本尊は泰山府君(赤山大明神)。京都御所から見て表鬼門の方角(北東)に当たるため、方除けの神として古来信仰を集めた。拝殿の屋根の上には御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置されている。(ウィキペディア「赤山禅院」より)
天台宗の寺院のようだが、神様ばかりのような感じがする。
ご本尊の赤山大明神は、中国の赤山にある泰山府君(陰陽道祖神)を勧請したもので、
天台宗の守護神。
比叡山延暦寺の千日回峰行においては、そのうち100日の間、比叡山から雲母坂を登降する「赤山苦行」と称する荒行がある。これは、赤山大明神に対して花を供するために、毎日、比叡山中の行者道に倍する山道を高下するものである。 (ウィキペディア「赤山禅院」より)
延暦寺からこの寺に回向する修行もあるようだ。
御神体は毘沙門天に似た武将を象る神様で、延命富貴の神である。
ここには、七福神の弁財天や福禄寿など七福神の神も祀られていた。
「都七福神まいり」という御朱印を集める企画があるようだ。
参道や福禄寿堂には、七つの神社仏閣のカラフルな旗が飾られていた。
その中でここは福禄寿になっていた。
それぞれは、以下の通り
・商売繁盛「ゑびす神」…京都ゑびす神社
・開運招福「大黒天」…松ヶ崎大黒天(妙円寺)
・七福即生「毘沙門天」…東寺
・福徳自在「弁財天」…六波羅蜜寺
・延寿福楽「福禄寿神」…赤山禅院
・不老長寿「寿老神」…革堂(行願寺)
・諸縁吉祥「布袋尊」…萬福寺
の7カ所。
↓福禄寿堂前に並ぶ七福神。各象の後ろには神社仏閣の名前の書いたカラフルな旗が立っていた。
御朱印所では御朱印を書いてもらう大きな板に赤山禅院を書いてもらっている人がいた。
50cm×50cmぐらいの大きな板だった。
意外と、この板をもって参拝に来ている人を多く見かけた。
海外の人もこの板をもって、赤山禅院に参拝に来ていた。
神仏習合が色濃く残る
しかし、このお寺と言っていいのか、神社と言っていいのかわからないが、
神仏習合が色濃く残っている。
明治維新の神仏分離令の後も神仏習合をつけている。
それができたのは、天皇との繋がりが強かったのかもしれない。
この寺の周辺は宮内庁の管理になっている。
弁財天堂
福禄寿堂と授与所
本堂・本殿。赤山大明神。
御拝殿。この建物この上に、猿の像がある。
もう拝殿まであるのは、どう考えても神社のようだ。しかし、延暦寺の別院。
鳥居もあった。
山門もあった。
鳥居を通りずっと上がるったところに。
これが、本格的な神仏習合なのだろうか?
帰る時には、何か法要でも営まれているのか、読経が境内のスピーカーを通して流されていた。
参道沿いの苔もきれいだった。
皇城表鬼門の寺・「猿」の像・後身を見守る先達「猿」
この寺は、皇城表鬼門。
平安京の表鬼門を守護するのは延暦寺とその手前の赤山に赤山禅院。
御拝殿の屋根の上で、御所の方を向いていた。
先代の猿
先代の猿は、境内にあって、後身の猿に作法を教えるた見守っているようだ。ちゃんと御拝殿の猿の方を向いていた。
この寺は、昔から皇城表鬼門の寺として、皇室からも重要視されていたのだろう。
明治維新の神仏分離令の厳しい追及も受けなかったのも、このお猿さんの御蔭かもしれない。
東山三十六峰・北から3番目の山
赤山禅院は東山三十六峰の三番の山。
一番は比叡山、二番は御生山(みあれやま)。
叡電修学院駅から赤山禅院に向かって歩いていると、比叡山とその横に二つ山が並んで見えた。
比叡山その横が、赤山か?そして赤山の横が修学院山かな?とも思えた。
比叡山の次に北にある御生山(みあれやま)は、赤山と思われる山の横にある小さい山のようなものが比叡山の下に見える。それか?
途中で撮った写真に思うように山の名前を振ってみた。違うかもしれい。
不思議なことに、赤山禅院で「赤山」について聞いてみたが、「赤山」のことを全くっ知らないようだった。
知っている人もいたが、赤山の山頂の位置はわからない。この周辺は宮内庁の所有のようで、赤山に行くことはできないとのことだった。
事前に調べて、赤山山頂近くへは行けないのは知っていたが、全く近寄ることができなとは思わなかった。
↓鳥居の後ろに見える山は、「赤山」?
地図