護王神社・足腰の守護神・和気清麻呂の神社・和気清麻呂という人は?その時代背景 20221231 【追記】神社の壁の飾れた絵物語と紙幣に疲れた清麻呂と護王神社

 

護王神社 和気清麻呂の神社・イノシシの神社

護王神社 いのしし

護王神社は、和気清麻呂の神社。

主祭神は、和気清麻呂と姉の和気広虫姫。

護王神社

護王神社

京都御苑の蛤御門を出て少し南にある神社。
昨年の年末に行った神社。
以前の記事でも行ったことを紹介した。

photo.talk-turkey.com


神社の境内に狛犬があるのが普通だが、ここはイノシシ。

f:id:m3785com:20230101131251j:image

ちなみ手水舎も、イノシシ。龍が使われることが多いようだが、
f:id:m3785com:20230101114540j:image

ついでに、拝殿の前もイノシシ。
f:id:m3785com:20230101114543j:image

護王神社のホームページには。足腰の守護の御利益を求めて、全国から足腰に悩みのあるスポーツ選手や子供や高齢者の人まで、多くの人が参拝しているとあった。

 

   

 

清麻呂の像

護王神社 和気清麻呂像

さざれ石(日本一のさざれ石)

護王神社 さざれ石

君が代にも出てくる石。どんな石かと思っていた。

この石は、岐阜県揖斐郡春日村の産で、通称「さざれ石」と呼ばれています。
「さざれ石」は同県小林宗一氏(号宗閑)によって発明され、学名石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)。石灰石が長い年月のうちに雨水に溶解し、時には乳液状となって大粒な石、小粒な石を次々と集結して自然に大きな巌となったものである、大変御目出度い石とされています。(説明看板より一部抜粋)

足腰の守護神

足腰の守護神 護王神社

清麻呂が大分県の宇佐八幡宮へ向かう道中をイノシシに助けてもらった。その時、清麻呂が患っていた足萎が治ったとの故事から、特に、足腰の健康保持・怪我・病気の快復に加峰悦ご利益があると信じられているようだ。

イノシシが、多いのはこのためのようだ。

境内写真

拝殿と奥に本殿
拝殿と本殿 護王神社

拝殿の後ろから、お正月に向けた生け花が用意されていた。

拝殿裏から 護王神社

足萎難儀回復御守護石
入口にあった。この上の丸玉は手で回すことができた。丸玉にはお経が書かれていた。

足萎難儀回復守護石

足萎難儀回復守護石

京洛八社集印めぐり

御朱印の集印めぐりのひとつにもなっていた。京都にはいろいろな御朱印集めの企画があるものだ。

京洛八社集印めぐり 



 

   

 

和気清麻呂

和気清麻呂というと、桓武天皇に、東山の将軍塚で、今の京都の地を遷都先として紹介した人とというのを覚えている。

photo.talk-turkey.com

ウィキペディアによると、和気清麻呂は、

高直な人柄で、一身の利益を顧みずに忠節を尽くした 。

のようだ。
このような人なので、桓武天皇からも信頼が厚かったのかもしれない。

宇佐八幡宮神託

和気清麻呂が生きた時代は、奈良時代終わりころ、宮廷では、孝謙天皇を看病した道鏡が、天皇の寵愛を受けるようになって権力を強めていた。道鏡は太政大臣になり、仏教に基づいた政策をするようになった。
道鏡は、平将門、足利尊氏とならんで「日本三悪人」と呼ばれることがあるようだ。

称徳天皇の頃、宇佐八幡宮で道教を皇位につければ天下太平になるという神託が出たと奏上された。
それを確認するために、姉和気広虫の代わりに和気清麻呂が宇佐神宮に派遣された。
道教は、自分に都合のよい神託を持ち帰るように、清麻呂を懐柔しようとする。

しかし、その清麻呂が持ち帰った神託には、

「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人(道鏡)は宜しく早く掃い除くべし」
道教を除くようにとあった。
清麻呂はそのまま提出した。
道鏡の誘惑にのっていたら、ここで改ざんなどするのだろう。
ひょっとして改ざんしていたのかもしれない・・
清麻呂は道鏡の誘惑を拒否した。
まじめな人だったようなので、神託は改ざんされていないと思う。
清麻呂は道教の怒りを買い左遷され、役職を解かれ流罪にそして暗殺までされかけた。
しかし、その道鏡も、称徳天皇が崩御して、失脚した。
道鏡失脚後、清麻呂は入京を許され、呼び戻されて、官界に戻ることができた。

 

川底池と和気橋・大阪市天王寺区

その桓武天皇の元で、和気清麻呂は、一所懸命に働いた。
桓武天皇に平安京遷都を進め、平安京と難波への流通をよくするために、淀川と神崎川を直結させたり。上町台地を開削して、大和川大阪湾に流し、氾濫を抑えようとしたがこれは失敗したようだ。
その名残が今でも大阪市天王寺区にある茶臼山のふもとにある「河底池」と池に架かる「和気橋」と呼ばれている橋がある。
大阪市天王寺区。茶臼山の麓、天王寺公園「河底池」と和気橋

f:id:m3785com:20200129182828j:image

和気清麻呂は、天武系天皇と天智天皇系の天皇の元で一生懸命に働いた人と言えるかもしれない。

このように政局が動いた時代に、生きた和気清麻呂。
まじめな性格がよかったのか、皇位を狙った道教の誘惑にも負けず、左遷されても、流罪にあれても、暗殺されかけても、失敗しても生きた。

平安京遷都の翌年の799年に亡くなった。
桓武天皇にも重宝されたようだ。

【追記】

絵物語

この神社の烏丸通り沿いの壁の鳥居より北には、和気清麻呂の前述の宇佐八幡宮へ行った話の絵物語が飾られていた。12月31日に行ったときは、その絵の前に提灯が飾れていてみることができなかったが、1月28日に行ったときは、その絵を見ることができた。
一枚一枚がカルタの楊で分かりやすかった。

護王神社絵巻物

護王神社 絵巻物

護王神社 絵物語

道鏡の怒りをかって左遷されるところ

護王神社 絵物語

桓武天皇の元、遷都のために働いているところ。

護王神社 絵物語

鳥居より南側・紙幣の肖像に使われた和気清麻呂と護王神社

鳥居より南側には、和気清麻呂が紙幣の肖像になり、護王神社が紙幣の絵になった紙幣の絵が飾られていた。

護王神社

護王神社 紙幣になった清麻呂と護王神社

護王神社 和気清麻呂と護王神社

そしてイノシシも

護王神社 紙幣になったイノシシ



 

   

アクセス・時間・地図

最寄り駅:地下鉄烏丸線 丸太町駅 徒歩7分
最寄りバス停:市バス烏丸下長者町 下車すぐ

拝観時間 午前6時から午後9時

授与品・御朱印受付時間 午前9時30分から午後4時30分

御祈祷受付時間:午前9時30分から午後4時30分