城南宮
創立年代は不詳である。平安遷都の際に国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀って創建された。城(平安京)の南にあることから「城南神」と称した。 白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、離宮の鎮守社として代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。 (ウィキペディア「城南宮」より)
以前城南宮に来たことがある。中まで入らずに帰ってしまった。
国道1号線側の西鳥居から入った。入ってすぐには駐車場が参道横に広がる。
西門から入った印象で、あまり興味を持てなかった。
前回はこの辺りの鳥居を過ぎたあたりまで歩いて行った。
当時、城南宮への知識も少なく。目的地が伏見の丹波橋あたりだったので参らなかった。
今回も、西門から入った。受けた印象は同じだったが、進むうちに、変わった。
↓西鳥居 国道1号線側。
西鳥居
西門あたりからすると雰囲気が変わった。
優雅な歴史の舞台と血生臭い歴史の舞台
近くには鳥羽離宮跡がある。
白川天皇の頃、城南宮は、鳥羽離宮の一部だった。
平安貴族の優雅な生活が繰り広げられた場所。
城南鳥居の横に「白河天皇の雪見の御幸」イラスト。
鳥羽離宮跡には、鳥羽離宮の案内の他、鳥羽伏見の戦いの布陣の説明看板がある。
鳥羽離宮跡も城南宮も鳥羽伏見の戦いの戦場だった。
明維維新前の血なまぐさい戦いが繰り広げられた場所。
城南鳥居の横には「伏見の戦い跡」の案内があった。
そして、もう一つ。
旅路への道の起点でもあった。
↓大阪天満橋にある渡辺津の跡にある熊野街道の碑には、熊野街道の起点は、鳥羽離宮(城南宮)とある。旅の安全を城南宮で祈り、旅立った場所。
碑には以下のように書かれていた。一部抜粋。
平安時代後期(12世紀頃)から熊野参詣が盛んになった。
白川上皇や鳥羽上皇は鳥羽離宮(現在の京都市城南宮あたり)で身を清め道中の無事を祈願した後、京を出立。淀川を下って、渡辺津(現在の天神橋あたり)で上陸し、熊野街道を通って熊野三山(和歌山県)へ、往復一ヶ月ほどかけて参詣した。・・
城南宮鳥居
鳥羽離宮は天皇家の鳥羽上皇、そして、鳥羽伏見の戦いを一旦終わらせたのが、天皇の錦の御旗。この地は、天皇家にゆかりの深い場所のように思う。
回廊から本殿敷地へ
拝殿でお参りをしたあと、回廊の拝殿横から本殿の敷地に入ることができた。
本殿の周りをぐるっと一周歩ける。
本殿の裏には、神様に一番近いところからお願いができるとろがあった。
拝殿より近い、本殿のすぐ裏だ。
菊水若水
聖水なのだろう。汲んで帰る人もいるようだ。
奈良の二月堂で行われるお水取りの水も、若狭から東大寺までの水脈がこの菊水若水を経ているとのこと。
東鳥居
周辺には、白河天皇、鳥羽天皇、近衛天皇の陵墓がある。
白川天皇陵墓
京都五社巡り
この神社は、御朱印の「京都五社巡り」のひとつ。
一枚の紙に、平安神宮を中心に、
東に八坂神社、
南は城南宮の朱印、
西に松尾神社、
北に上賀茂神社
そして中心の平安神宮で御朱印を押してもらうようになっている。
それぞれの神社は平安京を守る方位の四神に準えられているのだろうか。
東が青龍、南が朱雀、西が白虎、北が玄武という四神相応。
「京都五社巡り」では
東の八坂神社は、東を守る「青龍」
南の城南宮は、南を守る「朱雀」
西の松尾神社は、西を守る「白虎」
北の上賀茂神社は、北を守る「玄武」
そして、その中心は「平安神宮」
としているのだろう。
城南宮は、京都御所の裏鬼門を守るともいわれている。
青龍
八坂神社の参道の四条通り沿いにある看板に青龍のことが書かれていた。
東山(華頂山)の山頂には「将軍塚青龍殿」がある。