散歩と写真 Walker'SceneryPhotos in Kansai

散歩しながら撮った写真 京都・大阪・和歌山。神社仏閣・史跡・季節の花


京都の通りを歩く 新町通り

京都の街中を歩くのが好きで、何年も前から、あてもなく京都にいってフラフラ歩くことがある。

意外と面白いことがある。

人にしてみれば、

どこの街も同じなのだろうが、京都の街を歩いていると意識もあってか、

京都の街の通りの造りからか、歩いていて、歩きやすく、なんとなく「いいな」と思う。

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新町通り

祇園祭の山鉾巡行では、前祭りでは、御池通を西に進む山鉾が新町御池で南に折れて、新町通りを南進して、それぞれの鉾町に帰っていく。後祭りは、逆で、新町通りを通り、巡行に出ていく。

祇園祭の時はメインロード。
新町通り全体は、北は玄以通から、南は京都駅で分断されるが、久世橋通の南までと長い通り。
祇園祭りで利用するのは、そのほんの一部。

 

   

 

すっきりした通り

祇園祭の頃には、新町通りや室町通りをうろうろと歩き、写真を撮る。
最近一眼レフで撮ることもある。
撮った写真の中で、新町通りだけが少し違う。
とても開けたすっきりした感じがあり、道路の起伏の様子もいい感じだ。

なぜ「すっきりした感じが」したのか、ずっと気が付かなかったが、

この通りは山鉾が巡行するので、道路をまたぐ電線がないからだった。

新町通り2022年8月

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新町通り2022年7月


すっきりしているのも、山鉾が通るところだけだと思う。

ほかの通りはというと、

例えば二条通りは、通りの上を電線がたくさん走っている。

しかし、新町通だけでなく、高級ホテルの前も、すっきりしていた。

左の方へ二条通り、右のほうへ油小路、油小路沿いに「ホテル・ザ・ミツイキョウト」がある。

室町通り(四条室町)は、通りの上を電線がいっぱい通っていて、新町通りのようにすっきししていない。

電線は、細くて遠くからは見えないかと思っていたが、意外と存在感があるものだ。

 

   

 

町小路と呼ばれた通り

新町通りは、平安京では、町小路と呼ばれた。
別称は
町口小路(まちぐちこうじ/中御門大路以北)
町尻小路(まちじりこうじ/土御門大路以南)

西は西洞院大路、東は室町通り。

なんとなく、他の通りに比べてシンプルな名前だと思う。

新町通りは、鴨川が氾濫してその影響を受けない高台だったそうだ。地勢的に当時の京都の一等地にあったそうだ。

 町小路の前身は平安京の町尻小路(まちじりこうじ)/町口小路(まちぐちこうじ)で、江戸時代以降は新町通となる。鴨川が氾濫してもその影響の及ばない高台に属し、地勢的には当時の京都の一等地である。そしてそこ並んでいたのは商人の商家や職人の工房であり、それに対して 公家や武家はより洪水の危険が及ぶ東洞院通以東に居を構えていた。町衆の中の富裕層は「有徳人」と呼ばれ、祇園会の際には国家に代わって山鉾巡行の費用を拠出しやことから「潤屋の賤民」とも呼ばれた。

(ウィキペディア「町小路」より)

新町通りの一つ西の西洞院大路には西洞院川が流れていた。

いまでも東西に歩いていると、西洞院通りまで下り坂で、過ぎると上り坂になる。

 

昔の京都のメインの道は、室町通りかと思っていたが、新町通り(町小路)も栄えた通りだったようだ。

祇園祭の山鉾がなぜ新町通りを通るのか不思議に思ったことがあったが、中世の祇園会は、新町通りに多くあつまる町衆の力があってできたのだと思うと納得。

 

祇園祭の頃、新町通りに、山鉾が多く並ぶ。

四条通りの南は、☆岩戸山、☆船鉾、☆大舟鉾(後)、四条通りを渡って☆放下鉾、☆南観音山(後)、☆北観音山(後)、八幡山(後)と山鉾が立ち並ぶ。
※☆はくじ取らず。(後)は後祭。

新町通りに建つ山鉾のほとんどがくじ取らずだ。

他のくじ取らずは、前祭りでは、先頭の長刀鉾。
後祭りでは、先頭の橋弁慶山と今年復活した大舟鉾の前を行く鷹山。

鷹鉾は三条通りだが、新町通りすぐ。山鉾建ての時は、引き手の人が新町通りまで出ていた。

 

   

 

話は変わるが

雨宿り、雨の京都もいい。通りの町家も軒に雨宿り。雨が小止みになるまで。

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雨宿りをしていると、偶然出かけるその家の人と鉢合わせした。なんかバツが悪い。

「雨宿りさせてもらっています。」

「どうぞ、どうぞ」と言ってくれた。

しかし、何と無く居心地が良くない。

ちょうど雨が小止みになったので、その場を離れた。

その時は、家の人はいなかった。

 

いつ頃から

新町通りが「ウィキペディア」あったようににぎわったのは、いつの頃だろうか?新町通りがにぎわったとうのではなく、新町通り横の室町通りやその周辺がにぎわったのだろう。

室町時代になると、一つ東の「室町通り」が、にぎわっただろう。
時代の名前の「通り」。

応仁の乱があって、京都の町は焼け野原になった。

将軍の権威もなくなり。治安の悪くなった京の街で、自らを守るために町衆たちは、構を作ったようだ。

安土桃山時代には、京都の町は、上京の惣構えと下京の惣構えができるようになった。

その二つを結ぶようにあったのが「室町通り」だったようだ。

 

 

 

最後に、

長刀鉾が、新町通から四条通に出てくる瞬間の写真。2017年7月に撮影。

動画で撮ったが、残念ながら、ぼけてしまっていて、あまりいい写真ではないが、ついで紹介。

新町通りは、四条通りに近くくなると幅員が狭くなる。新町通りの街角の建物の上に、鉾の上の部分が見えてくる瞬間は、大げさな言い方かもしれないが、ゴジラが街中を歩いてビルの間から正体を現すような感じがした。