今宮祭神幸祭
2019年5月5日に行って以来、三年ぶりの5月5日の今宮祭 神幸祭。
玉のようなキンキラの神輿が京都の街を練り歩く。
3年ぶりに見に行こうと思った。
しかし、出遅れてしまった。
バスで移動
Yahoo!の乗り換え案内で、一番早く着くのを検索した。
一番早いのは、阪急電車で烏丸駅まで行き、そこからバスに乗って30分ほど。
時間によっては、四条大宮でバスに乗りかえということもある。
46系統のバスに乗って、今宮神社前まで。
四条烏丸交差点南西にある四条烏丸ビルの前、ここには、バス停がいくつかある。
祇園祭の時、四条通をはさんで函谷鉾の真向かいに見ることができる場所。
バスが頻繁にやってくる。
いろいろな系統のバスがやってくる。
京都での移動は、タクシーもあるが、バスがベストかもしれない。
JRも阪急も京阪も嵐電も地下鉄も、今回の目的地に行くにはアクセスが良くない。
といっても、今回の目的地の北区や上京のあたりには行くには、バスがベスト。
しかし、バスは時間通りに来ない。
12時19分のバスに乗るつもりだったが、乗る予定の46系統のバスが、バス停のバスの位置情報では、前の停留所に止まったまま、次のバスが追いつきそうだ。
おそらく、このバスは、一本前のバスだろう。
今宮神社
神輿が出立するのは13時とあった。
13時までにつけばと思っていたが・・・
着いた頃には、すでに出た後。
バスの窓から、神輿が見えた。
今宮神社についたのは13時前だったが、
神輿が出たあとの、今宮神社は静かだった。
魂が抜けたような感じだった。
静かな神社をお参りした。
あぶり餅
神輿は、今宮神社の東門の前に立つ。
神輿の建つ両側には、あぶり餅の店が向かいあってある。
特に今宮神社の店は、平安時代頃からある日本最古の和菓子屋とされ、今宮神社参道で応仁の乱や飢饉のときに庶民に振る舞ったといういわれがある。また、あぶり餅で使われる竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)であり、今宮神社で毎年4月の第2日曜に行われるやすらい祭の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があるのをたとえとし、食べることで病気・厄除けの御利益があるとされ、親しまれている。(ウィキペディア「あぶり餅」より)
南に あぶり餅かざりや
北に あぶり餅一和(一文字屋和輔)
前回は、かざりやであぶり餅を食べた。
今年は、一和の列に並んだ。
両店とも長い行列ができていた。
並びながら、視線を上に向けると一和の古い木造の建物の二階が目に入った。
この二階にあがれたら、いいなと思っていた。
そうすると、店の人が来て、自分たちまでが、案内された。
案内されたのは二階だった。くつを脱いで、急な狭い階段を上がった。
ラッキーだった。
あぶり餅は長い櫛に先に小さなお餅ちがついていて、そのお餅をあぶり、それに、甘いみそだれときなこをまぶした餅だ。
一皿一人前600円で10本ほど。
見た目、甘いみその味かなと思う。
食べ見ると、違う。見た目より、やさしい甘みときなこの味が風味を増す感じだった。餅の焦げ目がアクセントになった。
10本はすぐ食べた。おかわりしようかとも思った。
しずかな今宮神社を後にして、
大徳寺境内をあるき、今宮神社を出た神輿が、次の5月15日の還幸祭まで、神輿が滞在する今宮御旅所まで歩いた。
還幸祭りは5月15日(日)
3年前に撮った今宮祭 神幸祭動画 20190505
今宮神社
現在の今宮神社がある土地には、延暦13年(794年)の平安遷都以前から疫神スサノオを祀る社(現・摂社疫神社)があったとされる[2]。平安遷都後にはしばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれた[2]。正暦5年(994年)にも都で大規模な疫病が流行ったため、朝廷は神輿2基を造って当地で祀られていた疫神を乗せ、船岡山に安置し、音楽奉納などを行った後、疫災を幣帛に依り移らせて難波江に流した[2][3]。民衆主導で行われたこの「紫野御霊会」が今宮祭の起源とされ、京都の他の都市祭礼と同じく災厄忌避を祈願する御霊会として始まった。(ウィキペディア「今宮神社(京都市)」より
祭神
・大己貴命(おおなむちのみこと)
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。(ウィキペディア「大国主」より)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。(ウィキペディア「事第主」より)
・ 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。大山津見神の子であるアシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。 スサノオの尊は、 奇稲田姫命の姿を櫛にかえ、頭にさしてヤマタノオロチと戦い退治した。(ウィキペディア「クシナダヒメ」より)
ウィキペディアの「八坂神社では」櫛稲田姫命とあり、スサノオの尊の妻とされている。