鞍馬寺から奥の院から貴船まで ちょっと山歩き気分(2)僧正ケ谷・魔王殿奥の院・西門 20220502

僧正が谷

木の根道からさらに歩いた。ここからは少し下り坂が続く。
坂を下っていくと、カーブを描いた道の先に少し開けた場所が見えはじめ、建物らしいものが見えてきた。
ここが「奥の院」かと思った。

しかし違う。
ここは、「僧正が谷」

山道の中にあって、広い平地の場所。
周り木が茂り、森閑とした雰囲気がある。
謡曲の鞍馬天狗と牛若丸が出会い、打倒平家と修練したところらしい。
この広さなら、人里離れていて、ひそかに修練は十分できそうな感じだ。
ここにある建物は、「僧正が谷不道堂」

僧正が谷 不動堂

僧正が谷不動堂

説明看板

謡曲「鞍馬天狗」と僧正が谷説明看板

アニメ「鬼灯の冷徹」で義経を庇護しているのが「僧正坊」というような話があった。
僧正坊とは、義経に修行を付けた人の名前かと思っていた。
鞍馬天狗のことだった。
鞍馬天狗のことは、僧正坊(そうじょうぼう)とも言うようだ。
また、僧正坊は鞍馬寺の僧坊のこと。
鞍馬寺の僧侶だったのかもしれない。

叡電の終点の駅には、伝説の不思議なものがある。
終点のひとつの鞍馬駅には鞍馬天狗。
もうひとつ終点、八瀬比叡山口の八瀬には八瀬童子。
八瀬童子は、「鬼」のことでもあるようだ。
おそらく、それぞれの職種を全うするためにしていることが、他の人から見ると、天狗や鬼のように見えたのだろう。
彼らも他と同じ普通の人だったと思う。

八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)は山城国愛宕郡小野郷八瀬庄[1](現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁(輿を担ぐ役)を務めた村落共同体の人々を指す。室町時代以降は天皇の臨時の駕輿丁も務めた。伝説では最澄(伝教大師)が使役したの子孫とされる。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、履物も草履をはいた子供のような姿であったため童子と呼ばれた。(ウィキペディア「八瀬童子」より)

義経堂

僧正が谷には、僧正が谷不動堂を見下ろすように、少し高いところに、義経堂がある。

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義経堂

義経堂

歴史には文治五年(1189年)四月奥州衣川の合戦にて自害したと伝わるが、義経公の御魂はこの山にもどられ遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正のお働きを助けておあられるという。この義経堂には遮那王尊をおまつりする。(義経堂説明看板より)

※遮那王、義経の稚児名
※破邪顕正(はじゃけんしょう) 邪道をうちやぶり、正しい道理を世の中にあらわし広めること。

   

 

奥の院 魔王殿へ

僧正が谷にある距離標識

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僧正が谷から続く道の手前に石の道標があった。
「右 魔王堂」と書かれていた。

僧正が谷道標 右魔王堂

道標の横の道を歩いて、奥の院魔王殿に向かった。

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奥の院 魔王殿

一旦ここが目的地。多くの人がこの前で休憩していた。

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降りてきた道
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貴船への下り口の横に道標があった。何が書いてあるのか、達筆過ぎて読めない。

かろうじて

「右 くらま」と書いてあるようだ。

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裏面は「きぶね」と書いてあるような。

その横は?
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この後どうするか?戻る人もいるのだろうか?
ここから、貴船へ、あとは下りが多いはず。

   

 

鞍馬寺西門(貴船神社側)へ

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鞍馬寺西門

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橋を渡っていると、貴船川の上に床をハリ、料理を出す川床料理の店の川床が見えた。
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ご存じの方も多いと思うが。

貴船の川床は、「かわどこ」と読む。

夏になると鴨川の河原に張り出して作られるのは床。「ゆか」と読む。

川床は、木に覆われた貴船川の上に床をハリ、川の流れを聴きながら、料理を楽しむ。

風情があっていい。しかし、少しまだ、肌寒い時期、川床料理の風情を満喫するには、少し早いかもしれないような気もする。
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川を渡ると、雰囲気がガラッと変わる。
今まで静かな山の中。西門を出るとすぐ貴船神社があり、川床料理の店が立ち並び、狭い道を車と人が行き来していた。

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鞍馬駅から鞍馬寺へ行き、鞍馬山を歩き貴船神社前、貴船神社へお参りした後、叡山電鉄の貴船口まで、約2kmを歩いて降りた。

京都のお金座敷。標高も少し高く、夏でもひんやりとする鞍馬・貴船。日がかげると少し肌寒さを感じる季節。鞍馬寺から西門まで

歩いている間も汗をかくことなく、気持ちよく歩けた。

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鞍馬寺から貴船神社近くの西門までの経路(iPhone位置情報から)

鞍馬寺から貴船神社近くの西門までの経路をiPhoneの位置情報をGoogleマップに落とし込んでポイントを結んだ。
Googleマップにある道は少し違うように思った。
各ポイントの間は、まっすぐではない、蛇行しているが、iPhoneの位置情報がないので、直線で結んだ。