散歩と写真(京都・大阪・・)

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北野天満宮 大阪天満宮 五條天神 天満宮と天神社 おなじようで違う? 20210925



 

北野天満宮

北野天満宮は、受験シーズンとなると参拝する人が後を絶たない。以前行った時は、冬だったので、参拝する列が数十メートルも続いていた。社殿の前から何列にもなった人の列が三光門を過ぎて続いていた。受験は関係なかったので、到底並ぶ気にはならなかった。

2017年1月8日撮影北野天満宮三光門前からf:id:m3785com:20211020192418j:image

今回行ったのは秋。受験シーズンでなかったのでゆっくりと見て回れた。と言っても、社殿にお参りす程度だった。

上七軒の東門から入った。

↓東門

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↓社殿
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↓梅の木
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↓三光門
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楼門
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北野天満宮と天神さんは同じ。

北野天満宮は天満宮、天神社の総本社。

北野天満宮は天満宮、天神社の総本社と北野天満宮のホームページに書いてあった。
「北野の天神さん」とも呼ばれているようだ。

大阪天満宮も「天神さん」と呼ばれている。

大阪にも大阪天満宮がある。ここも北野天満宮と同じ菅原道真公を祀り学問の神様で有名だ。大阪では、大阪天満宮のことを「天神さん」「天満の天神さん」と呼ぶこともある。
北野天満宮とは経緯が少し違うようだ。大阪天満宮は白雉元年(650年)孝徳天皇が難波長柄豊橋宮を造り都の西北を守る神として大将軍社という神社を建てたのが始まりのようだ。この辺りは大将軍森と称し、後には天神の森ともいわれた。
901年に菅原道真公が大宰府に向かう途中でこの大将軍神社に参り旅の無事を祈願した。
949年菅原道真公がなくなって後50年近く経った頃に、この大将軍神社の前に一夜にして七本の松が生え、毎夜その鞘を光らせたそうだ。これを聞いた村上天皇が勅令を出し、菅原道真公の御霊を祭るための社を建てたそうだ。以降、大将軍神社を摂社とて天満宮が中心の社になった。これが、大阪天満宮の始まりのようだ。大阪天満宮のホームページとウィキペディアを参照した。

北野天満宮のとのつながりは見えない。

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大阪天満宮の参道の商店街は日本一長いアーケードの「天神橋筋商店街」だ。

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日本三大祭りのひとつ天神祭は大阪天満宮にお祭り。天満宮と天神さんは同じものと思われている。

 

五條天神宮

天満宮と天神さんは必ずしも同じではないようだ。

京都の五条に天使の突き抜けと呼ばれる「五條天神宮」がある。地元では「天使さん」と親しまれていたそうだ。創建当初は「天使の宮」(天使社)と称したようだが、後鳥羽天皇の頃に「五條天神宮」に変えた。通称は「天使の宮」。

 豊臣秀吉が、京都の街を改造する時に、五條天神宮(天使の宮)の敷地内の鎮守の森などを突き抜ける道をつけたからだと言われている。このあたりの地名は「天使突抜」だ。
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そして、この宮は義経と弁慶が出会ったところともいわれている。

五條がつくのも、ちょうどこの神社の北を通る松原通りはかつての五條通りだったためだろう。

秀吉のころ、五条通りが少し南にうつりも松原通りになった。

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↑上の写真三枚は、2017年4月撮影
この天神社は天満宮とも菅原道真公とも直接は関係ない。ただ境内に筑紫天満宮ががあるので、まったく関係ないことはない。
 

photo.talk-turkey.com

蛇足だが、義経と弁慶があったとい言われる場所については、

 牛若丸と弁慶の出会ったとされる橋も、鴨川であるとする説の他、鴨川には橋は架かっておらず、沿道の五條天神社の近く、西洞院通に沿って流れていた川に架かっていた橋であるとする説もある。(ウィキペディア「松原通り」より)

天満宮≠天神宮

天満宮は天満宮だけで他の神社に祭られていることがある。

本殿の横に天満宮のお社を見かけることがある。

京都の粟田神社に朝日天満宮があった。

大阪市池田市の呉服神社でも天満宮のお社があった。

天満宮の祭神は菅原道真公だが、天神社の祭神がかならずしも菅原道真公ではないようだ。

菅原道真を祭神とする天神社は、天満宮と一緒と考えて、祭神に菅原道真公がいらっしゃるかどうかで、判断することになるのだろう。
前述の五條天神社(天使の宮)は少彦名命(すくなびこなのみこと)を主祭神とする天神社。菅原道真公は祭神に加わっていない。

元々天神は「天津神(あまつかみ)」のこと。ウィキペディアで調べると最初に以下のように書いてあった。

 本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られ、つづいて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん / にほんだじょういとくてん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)[1]などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ[2]、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった。(ウィキペディア「天神信仰」より)

少彦名命(すくなびこなのみこと)も「天津神」の一人だ。

天満は

 「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。(ウィキペディア「天満宮」より)

 

   

 

北野天満宮の前には天神さんがいた。

北野天満宮が建立される前には、このあたりには天神さんがいたそうだ。

その天神さんは今も北野天満宮に、地主神社としてある。

「京都魔界案内」と言う本によるとこの地主神社が北野天満宮が来る前は、北野天神と呼ばれていた。そのほかにも、「火之御子社」この地にあったようだ。

天神さんは「天津神」で、国をを造った神様の総称だから、日本の多くのところにあったのではないかと思う。

農民にとっての天神は、作物の豊凶を左右する水を支配する神、すなわち雷神や龍神といった神であった。実際、「火之御子社」はそのものずばりホノイカズチ、つまり雷を祭神にしている。おそらく、北山や西山、特に愛宕山の方角で発生した雷雲が、このあたりの森にたびたび雷をおとしたので、天神や雷神の祠がつくられたのだろう。

とある。

 右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。(ウィキペディア「北野天満宮」より)

雷の怖さは、いつの時代も同じだ。それより、昔の方が、もっと怖かっただろう。雷がおちると火災が起きる。相国寺の七重大塔は雷でなくなった。

落雷で火災になって焼失したものは数限りなくあったはず。雷を菅原道真公の祟りと思った人は、雷のよく落ちた北野に菅原道真公を祭る天満宮を建てたという考えは、短絡すぎるかな。

 




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