夏越大祓(なごしのおおはらえ)
「夏越の大祓」は月暦で1年の半分が終わる日、
6月の晦日の30日に執り行われる。
12月31日の大晦日はには「年越しの大祓」が執り行われる。この時は茅の輪はない。
半年の汚れや邪気を祓い、残りの半年を清らかに過ごすためとのこと。
大祓の前日29日、土佐稲荷神社近く通った。
ちょっと覗き込むと、ちゃんと茅の輪が用意してあった。
お参りするには、茅の輪を左回り右回り左周りそしてまっすぐと4回潜ることになる。
ここは茅の輪を支えるために左右にワイヤーあって、茅の輪の周りを周りを周り潜ることができなくなっていた。
まっすぐ茅の輪を潜り、お参りした。
この日は6月29日。前日だった。
コロナ禍の夏越大祓
7月に入って、大阪府池田市にある呉服神社に行った。
門の横に「夏越大祓」の看板があった。
7月18日から7月31日とあった。
「今頃???」
「旧暦あわせかな」とも思った。
聞いてみると、
例年6月30日ではなく、夏祭りの時にするようだ。
夏祭りは7月18日の予定だった。
茅の輪くぐりもこの日だけだったようだ。
しかし、コロナ禍、夏祭りは中止。
夏越大祓は、7月18日から31日までとして。
茅の輪もこの期間中設置したままにして、多くの人が茅の輪くぐりできるようにと考えているようだ。
近くの神社も茅の輪がまだあるとも言っていた。
土佐稲荷神社のような大きな神社は、6月末に夏越大祓をする。
街の産土神のような神社は、人でが足りず、夏越大祓をしてすぐ夏祭りをするというのは大変なので、一緒にやるケースがあるのだろう。
呉服神社は、阪急電車の西国七福神集印めぐりの「恵美寿神」の神社。
池田市という大阪梅田からは少しはなれた住宅街にある神社。駅出口からすぐ。阪急高架横に大きな鳥居もある。
入口よこには幼稚園があった。
境内に訪れる人もすくなく静かだ。ご神木の大きな木が境内から周辺の街を見守っているように立っていた。
いい神社だった。
近くには阪急の創始者小林一三氏にまつわる施設もある。カップヌールドルミュージアム大阪池田もある。
呉服神社は
応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された阿知使主と都加使主父子が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛を猪名の港、現在の猪名川に架かる呉服橋と絹延橋の間にある唐船が淵に機殿(はたどの)を建て、迎えた。 その後、仁徳天皇76年に死去し、翌77年に仁徳天皇によって祀られたとされる。 天正7年(1579年)の織田信長と荒木村重による有岡城の戦いの戦火に巻き込まれて社殿が焼失する。その後、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって本殿が再建された。 1969年(昭和44年)に拝殿が建てられている。