京都の見た目 「京都人の密やかな愉しみ」の中で。

 

 外から見た目

「京都人の密やかな愉しみ」を観て、
京都の習慣のようなものを感じることができたように思う。

京都人全てがそうと言うわけでもないだろうが、

日本人は都道府県で人を分ける習慣があり、外からの見た目で都道府県のイメージを作り上げる。

「大阪には一家に一台たこ焼き機がある」と言われている。

大阪生まれの大阪育ちだが、

「へぇそうなんだ。たこ焼き機買わんといかんな?」と思った。

「大阪には一家に一台たこ焼き機がある」
これが大阪人への外から見たイメージ。

 

このドラマで、高校教師の紹介するときに、

「京都人やのに京都検定一級持ってはる」と紹介する。
京都人が京都検定を取るのは珍しいのだろう。
京都検定は他府県の人が取るものだと言うことだろう。

自分も大阪検定があったら、取るだろうか?

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京都にはやめると困る商売がある

老舗だけでなく、京都独自の職業もある、たとえば、「洗い屋」と言う木造の建物を洗う職業がある。お寺や神社などの建物を洗ったりする仕事。この仕事のおかげで、綺麗な神社仏閣を拝むことができる。

京都独自の仕事があるようで、その仕事の職人さんと長く付き合っている取引先や頼りにしている人も多くいるのだろう。

その仕事を辞められると困る人がいる。
それを思うと、やめるにやめれなくなると言う。
京都人ならでは、思いがあるようだ。

メインのドラマと挿入される短編ドラマには、そう言った職業の家に生まれ、期せずして後継候補になった子の迷いと、
自分のように子供を縛りたくないと言う親の子を思うが描かれているように思う。

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六条通

分を弁える

今の時代、商売相手の客を奪うことには何らためらいなくする。

京都の街を歩いていると、ぽつんと店が一軒あるのを見かけるころがある。
昔なら大阪でも普通にあったかもしれない。
京都には今でもある。
京都人は、隣の商圏のお客さんを取ることをしない。お互いに商売を続けていけるように気を配っているようだ。

商圏を分け合うことで、街それぞれの景観の維持もできているのではないかとも思う。

そして、住民が商圏お店を守ろうとしているのだと思う。
お互い様という精神かもしれない。

子供頃は、実家から歩いて数十メートのところに食品店があった。そのような小さな商店が街のそこここにあったようにおもう。

それが大店法の改正、スーパーの出店が相次ぎ、大型店舗がそういった店の客を奪っていった。

結果、小さな商店が消え、町の小さな市場が消え、今、商店街が消えようとしている。

今は、コンビニが台頭し、昔の近所の店の代わりになりつつあるのだろうか。

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 ゴキントハン

京都の人は「ごきんとはん」という言葉を使うようだ。
大阪では使わない。
使い方はいろいろあるようで、シチュエーションとニュアンスでどの意味かがわかる。
観ていると、まじめな対等しつこいなぁという意味で使うようだ。

もともと京都の町は、いろんな職業や位のひとが混在して住んでいたようで、職種によっていい時もあったり悪い時もあったりで、どんな時でも対等に付き合う。
相手に「位取り」されたくないという意味もあるようだ。

お土産をもらった返しに、1万円もするメロンでも持っていこうものなら、受け取りを拒否されるようだ。そのメロンも切っておすそわけで数切れもっていくのであれば、問題ない。

ちゃんと相応のものを持っていくと
すなおによろこんだ感じで
「ごきんとはんどす」と言うようだ。
ガンバッテイル人に対しても、
「ごきんとはん」と言うようだ。

しつこい営業にたいしては、
いやみたらしく
「ごきんとはんなこって」

 

 

   

 

ぶぶづけでもどないどす。

職人の多い京都は、職住が一緒なっていることが多く、あまり広くなかったようだ。
来客で長居されると困る。その間仕事ができない。
そこで、早く帰って欲しい時に「ぶぶ漬けでもどないどす」と言うようだ。
大阪人の自分も昔からその話は知っていた。

そう言われて食べて帰った人がいると言う笑い話を聞いたことがある。

「ぶぶづけでもどないどす。」は、本当あったかは、ちょっと疑問。
このドキュメントの中で、京都の人に聞いているが、そんなことはないと言っていた。

ただ、職住が同じ空間だと、お客さんが来ると仕事が止まっててしまう。
西陣では「ごめんやす三寸」といって、来客中に三寸でも織れたのにと、来客の時間を惜しむ言い方もあるようだ。

来客がなかなか帰らないときは、ほうきを逆さに立てると、早く帰ると言うのも聞いた。これは実際やったことがある。効果はなかった。

新型コロナの時代、人の家に行くのは、今まで以上に嫌がられる。

 

 

京都人は別?

京都の人と付き合いのあった知人からは、あまり京都人のいい話は聞かない。

自分は京都にはよく行くが、京都人とは付き合いがあったことがないので、ピントはこない。

このドキュメントを見ると、言われいる話の原因がわかるような気もする。

このドキュメントに出てくるイギリス人の大学教授の説では、「文化人類学的に言うと、日本には二種類の人間が存在する。日本人と京都人だ。」といっている。

京都人は他の都道府県(日本人的日本人分類)違いところが多いのだろうか。

 

偉そうな京都人

京都人は今でも東京へ行くには、下ると言う話は聞いたことがある。
今でも、日本の中心は京都だと思っている人がいるとも聞く。

京都人と言っても碁盤の目に住んでる人の一部だろうが。

彼らは、嵐山のある嵯峨野は京都じゃないと思っているようだ。

京都1000年以上も日本の中心だったと言う思いが、所々に出るのだろう。

このあたりが、他府県人からいいように思われない点のひとつかもしれんない。

 

   

 

京都への恩返し

昨年7月に岩戸山町にある京町家の喫茶店に行った。
喫茶店と言っても、喫茶店は副業のような感じだ。
多目的スペースのようだ。ヨガの教室などもやったりするようだ。

3年前も行った。

岩戸山の会所をしている。会所は笛や太鼓の練習したりするベースみたいなところ。

巡行する山に飾る「見返」も飾っていた。

昨年の7月に行った時はなかった。
行ったのは、祇園祭の「切符入り」次の日。涼しい日だった。
祇園祭がないから、涼しいのか?と今になってそう思う。

この店というか家というか?儲けることはあまり考えていないような店。広い建物の和室に丸テーブル(ちゃぶ台のようなもの)6つ。

従業員の人から聞いた話では。

主な目的は京町家を守るため。
今京町家はどんどんなくなっているようだ。

これも、昔、京都でお世話になったから、京町家を守る為に町家を借りた。

京都への恩返しの為にやっているという。

 

このドラマの中でも、そのような話はがあった。

京都に大学が多く下宿も多い。下宿先の人は、下宿する大学生家族のように大切にする。

何故か、学生が大学を出て儲かったら京都に戻ってきてもらった、お金たんと使ってもらう為と、ドラマの中の下宿のお母さんが言っていた。

この岩戸山の町家喫茶店は、このドラマで言う京都への恩返しのひとつだ。

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