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名勝 雙ヶ岡・雙ヶ丘・双ヶ岡・双ヶ丘(ならびがおか) ・京都の眺望 2020/10/03



  

雙ヶ岡・雙ヶ丘・双ヶ岡・双ヶ丘(ならびがおか)

双ヶ岡:京都府京都市右京区御室双岡町

アクセス

・嵐電「御室仁和寺」駅 南すぐ

嵐電「御室仁和寺」駅には、「嵐山」駅「大宮」駅からも「帷子ノ辻」駅で北野線に乗り換えて5つ目。220円 「帷子ノ辻」駅から7分。

・JR山陰線「花園」駅 北へ数分

JR「花園」には、JR京都駅から山陰線(嵯峨野線)園部行で5駅目13分 200円

特徴:三つの岡からなっている。北から「一の丘」「二の丘」「三の丘」

丘の東には稜線に沿って「つれづれのみち」という遊歩道がある。
遊歩道沿いにそれぞれの丘への上がり口がある。
「一の丘」標高116m 上がり口の標高約73m 標高差約43m

「二の丘」標高102m 上がり口の標高約62m 標高差約40m

「三の丘」標高78m 上がり口の標高約45m 標高差約23m

嵐山・嵯峨野から東へ数キロ仁和寺の南に小高い丘ある。

京都盆地という枯山水の庭にポツンと置かれた苔むした石のように。 

東山の将軍塚から(2018年2月撮影)。

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双ヶ岡の西の嵐山の大河内山荘の「香月亭」からの眺め。

双ヶ丘だと思える丘があった。三つの丘が並んでる様子が双ヶ丘と思わせる。方向も合っている。

左から「一の丘」
真ん中「ニの丘」
右の低いのが「三の丘」
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上の写真を見ると、一の丘と二の丘がくっきりと見える。双ヶ岡という双という二つで一つという意味の文字を使ったのかなと考えると、見た目に二つの頂(いただき)あるように見えたので「雙(双)」の文字をつけたのだろうかと思える。三の丘は少し低いため、後から見つかったのかもしてない。

 

   

 

御室駅から南歩くと、住宅地にいきあたる。丘がよく見えない。丘への案内の看板ひとつない。入口もわからない。

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名勝に選ばれたことがあるにもかかわず。今は、訪れる人も少ないのだろう。

↓この石碑は丘の南の丸太町通近くにあった。

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丘の形状

丘の稜線や道がどこを通っているのかもわかる。古墳群の位置なども書かれていた。f:id:m3785com:20201010153222j:image

 

   

名勝雙ヶ岡はどんなところ

・平安京の基点のひとつという説

平安京を造営するにあたっての西の基点であったという説があると後日聞いた。
平安京の北の基点は「船岡山」、東の基点は「吉田山」そして、西の基点は「双ヶ岡」と聞いた。

今残っている一条通りをまっすぐ西に伸ばすと双ヶ岡の北の端近くを通る。そして、一条通りをまっすぐ東に行き、御所・鴨川を超え、東一条通りを東に進むと吉田山の吉田神社の参道に続いている。

平安京の一条通りの基準になったと思われる。

・古墳群でもある。

一の丘の近くにある古墳は、蛇塚古墳につぐほどの規模があったようだ。
崩れる危険があるため、今は、埋め戻されているようだ。
一号墳は直径44m・高さ8mの円墳の

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photo.talk-turkey.com

 近くに太秦があることから秦氏の首長の墓ではないかと言われている。

・徒然草の吉田兼好が住んだ場所。

 西側に吉田兼好にゆかり深いとされる長泉寺がある。
兼好は晩年双ヶ岡の東の麓にある庵で余生を過ごし、そこで「徒然草」を執筆したそうだ。
長泉寺にある吉田兼好の歌碑や墓は江戸時代に兼好を偲んで建てられたもののようだ。

双ヶ岡は、中世には天皇の遊猟地であり、高位貴族の山荘地でもあった。
(ウィキペディア「双ヶ丘」参照)

・映画の撮影所があったとか。

 1928年にはマキノ・プロダクションを退社した河合広始や田中十三が、双ヶ丘南麓にレンタルスタジオとして日本キネマ撮影所(別名 : 双ヶ丘撮影所、現常盤一ノ井町)を設立した。片岡千恵蔵プロダクションの設立第1作『天下太平記』(稲垣浩監督)は1928年5月に日本キネマ撮影所でクランクインし、翌月に公開されている。(ウィキペディア「双ヶ丘」より)

 

・大学か何かができる計画もあった。この計画が「古都保存法」の設立の契機になったという話があった。

 1941年11月13日、双ヶ丘は「京都盆地における卓越した展望地点」として国の名勝に指定(指定名称は雙ヶ岡)された。1966年には双ヶ丘に京都工科大学[10]の建設が持ち上がり[11]、衆議院における決算委員会で質疑が行われたが、結局大学が建設されることはなかった。これら高度経済成長期における双ヶ丘での騒動は、若草山でのレクリエーション施設建設開発や旧東大寺境内のホテル建設計画などとともに、国が1966年に古都保存法を制定するきっかけのひとつとなった[12]。その後は国の援助を受け、1976年には京都市が仁和寺から山域を一部買収して保全活動を行っている[5][9][6]。1996年には「御室・衣笠」の一部として古都保存法における歴史的風土特別保存地域に指定された[13]。(ウィキペディア「双ヶ丘」より)

「双ヶ丘」「双ヶ岡」「双岡」「雙ヶ岡」(国指定名勝)・雙岡(ならびのおか)」、「雙丘」

この丘には呼び方、書き方が色々ある。

「雙」「双」

「雙ヶ岡」(ならびがおか)が正式のようだが、敷地内の看板の表記はこうなっていた。雙の簡易文字は双なので。双ヶ岡と言う表記でもいいかと思う。敷地内の看板にこの表記をしているものもあった。

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「岡」「丘」

「おか」の表記も「岡」「丘」がある。

敷地内の「おか」の表記は「丘」になっているものもあった。

ネットで検索すると「双ヶ丘」。

周辺には「双ヶ丘中学校」「双丘保育園」などがある。

「岡」と「丘」は意味はほぼ同じだと言えるので、どちらでもいいかと思う。

「岡」は人の名前に使われることが多い、看板でも「岡」が使われている。
行った感想では「丘」の方が合うように思った。

 

 




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