熊野街道 熊野御子神九十九王子 八軒家船着き場から第一王子窪津王子から坂口王子跡&高津原橋

 ★★★目次★★★

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八軒家船着き場

八軒家船着き場は、大阪城の北、旧淀川の大川沿いにある。上町台地のほぼ北の端にあるといっていいだろう。かつては、かつては、野崎詣や金比羅参や三十石船などが淀川流域船着場で随一の賑わいだった。物流や人の行き来の拠点だった。明治43年に天満橋ー京都五条間に京阪電車が開業することで、淀川貨物輸送の拠点の役割を終えた。f:id:m3785com:20200105232508j:image
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この船着場から本格的に熊野詣が始まっている。熊野街道の碑が熊野街道と言われる筋に点在している。

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↓はちけんやガーデンにあった碑。

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現在、八軒家船着き場は整備され、観光船が発着するなど、市民の憩いの場となっている。このあたりの大川は観光船の行き来が多い。行った12月29日。八軒家船着き場のある「はちけんやリバービューウォーク」を歩いていると、大川を行き来する観光船を何艘も見かけた。整備されて、船で水の都を大阪をめぐる観光ツアーが増えたのだろう。大川から東横堀川・道頓堀川そして木津川・大川とめぐる船もあるようだ。大川からさらに上流の現淀川と大川が分岐するとこにある毛馬も方に向けて行く船もあった。

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このあたりは川沿いはテラスになっており、観光船水陸両用船の「大阪ダック」の乗り場のある「川の駅 はちけんや」がある。川の駅にはカフェもあって、大川を眺めながら食事や喫茶ができる。川を見ながら寛げる場所だと思う。水遊び用グッズなども販売していた。

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川の駅 川と反対側。こちら側が水陸両用バス「大阪ダック」のターミナルのようだ。このあたりで発着しているのを見たことがある。
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熊野街道

川の駅「はちけんや」から大川に並行するように東西に走る土佐堀通りへ出て交差点の信号を渡ると、熊野街道の石碑がある。碑から南に緩い坂の二車線通りが伸びている。ここらは熊野街道。この道は御祓筋(おはらいすじ)といわれているようだ。熊野詣の折、上皇が通る前に、道を清めるために御祓したことから、こう言われているようだ。熊野街道で、熊野古道とは言われていない。熊野詣の道は八軒家船着場からと伊勢や高野山、大嶺山からのルートがある。ここからのルートは、中辺路や大辺路に続く紀伊路のようだ。

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熊野街道(くまのかいどう)は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称。 紀伊路とも呼ばれ、当初は、渡辺津から熊野までが一体として扱われたが、近世以後は紀伊田辺を境に紀伊路・中辺路と区分されるようになった。後者の中辺路は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。 説教浄瑠璃の小栗判官にちなみ小栗街道(おぐりかいどう)とも呼ばれ、大阪市街(上町)では御祓筋(おはらいすじ)とも呼ばれる。 

 

熊野街道(御祓筋)をまっすぐ歩くと、途中に熊野街道の石碑が歩道の脇に建てられいた。

中大江公園の横

八軒家船着場から0.5km

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南大江小学校横

八軒家船着場から1.1km

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第二の王子坂口王子跡のある南大江公園近く

八軒家船着場から1.3km

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窪津王子

一番最初の王子が渡辺津・八軒家船着場の近くにある窪津王子だ。かつては、その場所に渡辺名前の発祥の地とされる坐間神社があった。大阪城の築城のため、坐摩神社は本町駅近くに移転した。今はそのあたりには坐間神社行宮がある。

坐摩神社行宮は、熊野街道より一本西側の筋の石町にある。

ここには、神功皇后が腰かけたと言われる石も祀られている。界隈の町の名前になっている。石町と言われている。

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第二王子 阪口王子跡

阪口王子跡は南大江公園中にある。

熊野街道の一本西の筋から公園に入った。

王子跡の碑も公園のこの筋近くにあった。

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この碑の横には狸坂大明神の祠があった。行った時は、近所の人が祠の掃除をしていた。小さいが近所の人からは親しまれているようだ。5月にはここでお祭りが行われるようだ。話を聞くと元々は、この祠は近くの空き地にほったらかしだったようだ。その時この辺りは火事が多かった。この祠を今の場所に移しちゃんと祀ると、以降火事は起こらなくなったとのこと。それ以降、この辺りでは、火事から町を守神として親しまれているようだ。

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高津原橋

阪口王子の跡からさらに南歩いた。熊野街道の一つ西の筋を歩いた。この筋から横に坂を下ると松町筋がある。松町筋は、この筋より少し低い。松町筋から大阪城川に行くには、緩い坂きつい坂を上らないといけない。松町筋が上町台地の端っことすれば、この筋があるあたりが、かつては、海辺の道だったのだろうかと勝手に想像してみた。そうこうしていると、住宅やビルの並びが途切れ、道は橋の上を通る。それが高津原橋。

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橋の下には「長堀通り」が谷町筋からの緩い坂になって通っていた。大阪メトロ鶴見緑地線の「松屋町」駅もあった。

思うに、今の長堀通の通っているあたりは上町台地を東西に切るように流れている川で、この橋の袂は、崖のようになっていたのではないかと。

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熊野詣

熊野詣は平安時代後半から鎌倉時代にかけて、宇田上皇(59代天皇 天皇在位887-897)から亀山上皇(90代天皇 天皇在位1259-1274)まで100回以上行われたようだ。

多かったのは、白河上皇(72代天皇 天皇在位1072-1086)、鳥羽上皇(74代天皇 天皇在位1107-1123)、後白河上皇(77代天皇 天皇在位1155-1158)、後鳥羽上皇(82代天皇 天皇在位1183-1198)の100年の間に97回も熊野詣が行われたようだ。この時代は平安時代から鎌倉時代に代わる頃、藤原摂関家から平家そして武家政治源氏が政治の主体となる時代の変化の時だった。

熊野詣は、上皇や女院など貴族だだけでなく、武家や庶民にも広がり、江戸時代に伊勢参りが人気を博するようになるまでは、「蟻の熊野詣」と言われるほど、多くの人が行ったようだ。 

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九十九王子

上皇たちが参詣(御幸道)する紀州道と中辺路には熊野九十九王子と言われる熊野神社の御子神が祀られている。11世紀にはあったようだが、12世紀から13世紀にかけて、多く設けられたようだ。それぞれ衰退があったようで、できたり消えたりしていたようだ。

王子は参詣途上で儀礼を行う場所であった。主たる儀礼は奉幣と経供養(般若心経などを読経する)であり、神仏混淆的である。

だが、よく言われるような熊野三山遥拝が行われた形跡は(少なくとも史料上では)確認できない。また、帰路にはほとんど顧みられることがないことから、物品の補給をおこなったとする説もあたらないと考えられている。これらの儀式が王子で行われたのは、王子とは熊野権現の御子神であるとの認識があり、すなわち参詣者の庇護が期待されたのである。
(ウィキペディア「九十九王子」より)
 

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動画八軒家浜・渡辺津〜高津原橋

 

  

参考

熊野詣(くまのもうで)とは - コトバンク

構成 - 宮内庁