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三条通
今日は朝から青空が広がっていた。家にいるのは勿体ない天気だった。朝方は少し肌寒かった。徐々に気温も上がったが、暑くもならず、絶好の散歩日和だった。
不思議と昼頃になっても、雲ひとつない青空のままでだった。
この日は、京阪京津線の「御陵駅」で降りて、三条通りを西に歩いた。
この道は、京阪京津線が路面を走っていた。
かつて京津線は御陵駅より西にも併用軌道を交えた路線があり、京阪本線と共通の三条駅(のちに同線から分離して京津三条駅と改称)を起点として三条 - 浜大津間を結んでいた。また、蹴上駅付近では碓氷峠並みの66.7‰の急勾配[1] を越えていた。1997年10月12日に御陵駅以西を廃止し、地下鉄東西線へ乗り入れを開始した。(ウィキペディア「京阪京津線」より)
紅葉にはまだ少し早い時期。街路樹は色づき、秋の気配が深くなってきている。
前回、山科を歩いたときの続きで、京阪京津線の「御陵」駅から、「蹴上」駅まで歩いた。
かつての東海道とほぼ同じルート。このルートは東山と華頂山の間の谷間を通り、蹴上を経て京都三条を目指す。
粟田口名号碑
木が茂っていて見過ごすところだった。前の信号を渡って少し歩いたところで気が付いて戻った。
この碑は、華頂山の東にある。反対の西側には、親鸞が得度した青蓮院や知恩院がある。
京津国道改良記念碑
九条山旧東海道
九条山のバス停の手前に旧東海道の標識があった。Googleマップでは「九条山旧東海道」という表記があった。
九条山
東山と華頂山の谷間のところを通る東海道の中でも高くなっている所で、かつては東海道の最後の難所といわれた日岡(粟田口)峠のあたりのところ。
このあたりは、交通の要所であると同時に、都と郊外の境界いに位置するこの地には公開処刑場が設けられていたようだ。
東山連峰の山と華頂山が両側から迫って来るところ。当時は鬱蒼としていて、薄暗かっただろう。今でも、道路は明るいが、歩道はなんとなく薄暗さがある。
坂はそれほど急だと思わなかった。今はこれほどだが、幾度も掘り下げたようだ。坂はもっと急だっただろう。通行する人にとっては、登るのに骨が折れたろう。盗賊に会わなか不安だった場所だったのだろう。
九条山・日岡(粟田口)峠を過ぎて
九条山・日岡(粟田口)峠を過ぎると下り坂になる。緩いを下っていくと、つつじで有名な浄水場が見えてくる。
浄水場くぉ過ぎたあたりから、視界が広がり京都街が見えてくる。昔も都の街並みがよく見えただろうか?最後の難所を超えて京の都が見たときは嬉しかっただろう。
琵琶湖疎水「扁額」第三トンネル出口
途中三条通りから別れて、蹴上インクラインを目指した。琵琶湖疎水の第三トンネルの出口までの「扁額」確認するため。少し上がった。
第三トンネルの出口の「扁額」は三条実美。
1873年、征韓論者の西郷隆盛らと岩倉具視・大久保利通と板挟みになって心労から人事不詳になってしまった。後、内大臣や太政大臣なども務めた。司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」でもその様子は、描かれていたのを覚えている。
下の写真の先に「扁額」がある。浄水場の施設内なので、入ることができない上に、ちょうど逆光で、かすかにあるなかという感じでしかなかった。
琵琶湖疎水の「扁額」の最初がそうだったように、最後もはっきりと確認できなかった。
蹴上インクライン
蹴上インクラインは何度も行った。桜の花の見ごろであったり、道を挟んである浄水場のつつじの見ごろの頃に行ったことがない。シーズンオフに行くことが多い。
いつも、人は少ない。この日は少し人が多かった。
扁額をたどる散歩はこれで一旦終わり。