毛馬こうもん(毛馬閘門)・毛馬水門・淀川大堰 2018(30)0916

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かつての淀川は、毛馬閘門あたりで南にコースを変えて渡辺津や中之島を通って、木津川・尻無川・安治川になって大阪湾に流れ込んでいただろう。
どう考えても、この広い川が、大阪市内を流れる細い川につながっていたとは思えない。
新淀川ができて、川の幅も大きく変わったのだろう。

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旧毛馬閘門(毛馬第一閘門)

眼鏡橋

雑草が生い茂った堤防沿いの道を自転車で走っていると、この場所に似つかわしくない石造りの階段を見つけた。

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自転車を置いて、入ってみると、「旧毛馬閘門入口」という看板があった。

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橋の下を通って、草や木が茂る道を行った。

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旧毛馬閘門

淀川は、度重さなる氾濫を繰り返し、洪水のたびに周辺地域に大きな被害をもたらしていた為、1897年(明治30年)~1910年(明治43年)にかけて、淀川の改修工事が行われました。新淀川の開削(現在の摂津市-津屋~大阪湾河口)が行われ現在の姿になりました。

毛馬洗堰は、新淀川と旧淀川(大川)の水量調整や、土砂堆積防止のため1910年(明治43年)1月にに建設されました。1974年(昭和49年)10月の新水門通水まで65年使用され、右側3門が当時の姿1で保存されています。

また、新しくなる淀川と旧淀川を行き来する船の航路確保を目的に、毛馬の第一閘門が1907年(明治40年)8月に建設されました。淀川と旧淀川では水位に差があるため、船は閘門内で水位調整の間停船し、その後それぞれの川へ出ていきました。毛馬第一閘門は、1970年(昭和51年)1月まで使用され、その役割は現在の毛馬閘門が引き継いでいます。
(現地案内板より)

かつて、ここは水で満たされて船が行き来してたのだろう。
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閘門で水位調整をしているも時、船は、流されないように、下の写真にある上下二箇所にあるどちらかの係船環に船を繋いで固定したよう。水位が違うから上下二箇所あるのだろう。

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要所要所に案内の標識があった。同じ閘門のこと書いてあったが、少しずづ言葉違っていて、新しい情報があった。

 

   

台風21号の影響

台風21号の影響で、ところどころに規制線がはってあって、入れなかった。 

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毛馬閘門

毛馬閘門のちょっと南にある毛馬橋から撮った。
↓第二閘門あたりかな。

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右が第三閘門
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大きく「毛馬こうもん」と書いてあった。

 淀川大堰

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淀川河川公園

この辺りは、川の南側広い公園になっている。

少し下流の十三あたりでは、川の北側が広い公園になっている。

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後記 

毛馬水門(けますいもん)は、大阪府大阪市北区にある淀川と旧淀川(大川)を隔てる水門。大川に流れる水量を調整する役目と同時に、淀川と大川の水位差により困難となる船舶の通過をスムーズにさせるための設備である閘門 および 大川の水を強制排水するための機能を備えている。 本頁では、国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所毛馬出張所 および 大阪府西大阪治水事務所 が管理している設備のうち、「毛馬閘門(けまこうもん)」「毛馬排水機場(けまはいすいきじょう)」を含む旧淀川側にある施設について解説する。 (ウィキペディア毛馬水門」より)

 

淀川は、琵琶湖からの瀬田川宇治川と京都の北山からの桂川・鴨川と奈良県からの木津川が合流して大阪で淀川になる。
淀川水系は広い。
淀川多くの山々や湖からの水の流れを引き受けている。
一旦にそれぞれから大雨が降ると、想像がつかない大量の水が淀川に流れ込むことになるはず。
かつては、大阪のあったエリアは、海だったり湿地帯だったから、流れてきた水も自由に流れることができ、あまり問題なかった。時代がながれ、政治経済の場所となるにつれ、街ができ、水の流れは拘束され、かつての自由流れができなくなる。

大阪はよく洪水にみまわれた。
淀川を渡る国道2号線の両岸には、増水時に道路を閉鎖して、防潮堤が道路道路の両側から出てくきて、水が両岸の街に流れ込まないようになっている。
先日の平成30年台風21号は、第二室戸台風の潮位上昇を超えたが、耐えることができた。第二室戸台風の時の教訓がいかされた感じだ。

 

この長年使っていた自転車と最後のサイクリングになった。この自転車で、毎日3kmぐらい走った。年間約1000km程度。10年近く使った自転車。軸がすり減って、買い替えた方がいいといわれた。(20190818追記)